その㉛『ウィザードリィ』
人の話を聞いたり活字を読んだりしても、頭に絵が浮かぶタイプの人がいる。いわゆる「映像思考」というやつだが、この『ウィザードリィ』開発陣もそんな人たちだったんじゃないかなあ。
『ウィザードリィ』はアスキーから1987年に発売されたRPG。当時は一番マニアックで、筆者もおそるおそるプレイに臨んだ。方向感覚が無いからマップや攻略本「ガン見」だったけど、要領をつかんで以来どっぷりハマった。方眼紙に手書きのマップを、ずっと保存していたぐらいだ。
これがどうして「映像思考」と関係しているかというと、ハードの制約もあってシンプルだから。ファミコン版は工夫されているとはいえ、ほとんどの出来事がテキスト表示。そこから「空想できたもん勝ち」なのである。そしてここにおいて、「眼前に絵を浮かべているプレイヤー」と「テキストしか目に入らないギャラリー」との乖離が生じちゃう。たとえば、「スーパーマリオ」なんかは誰の目にもアクションが明らか。マリオが飛んで跳ねて、クリボーを踏みノコノコの甲羅を蹴飛ばしてキノコを取って大きくなり、ブロックを壊して……。実は『ウィザードリィ』でもそれ以上のことがゲーム進行上は起こっているのだが、テキスト表示なので半ばリアルタイム、半ば読書の状態なのだ。プレイヤーは夢中でのめり込み、ギャラリーは「何なの、それ?」状態。まあ、挿絵と文しか見えないからねえ……。確かに分かりにくいところはあったけど、筆者の脳内では次のような感じ。
「パーティーの眼前に、突然未知の敵が! 戦士は剣を構え、侍は刀を抜く。魔法使いが先制の攻撃魔法を詠唱し始め、盗賊はダガーを握りしめる。敵は忍者の集団だ! 飛び上がって手裏剣を投げようとする前に、こちらの司教と僧侶が防御魔法を。攻撃呪文をかわした敵に侍の刀が一閃、真っ二つにしてーー」
この「動きが見える」か見えないかが、楽しめるかどうかを分けると思う。でも大ヒットしたことを考えると開発陣は、そういうの分かって作ったんじゃないかなあ。ちなみにファミコン版は、「3」までやりこんだ。現実でも方眼紙にマッピングすれば、迷わず散歩できるのだろうか??