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悟塔雛樹の!!「つれづれなる松葉ガニ」

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ファミコンと翻訳関係のものを除く、エッセイ一般をこちらにまとめました。表題には深い意味が……ありません。写真と動画もあるよ!
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2023年7月の記事一覧

伺います‼︎

今後、検証してみたい仮説を思いついた。どこまでできるかはわからないが、とりあえず放送大学で、文化人類学関係の科目を履修することに決めた。ゆくゆくは地元の大学で民俗学も学びたい。すごく楽しみだ。

かつて弱い人たちを傷つけてしまったことがあるのは、自分も同じように弱かったからではないかと思う。もしもっと強くなれたら、自分より弱い人々を護ろう。「精神的ますらお」に、なれることを願う。

ある思いつきがあった。父の墓参りをした日であった。いい父親だったか、と問うと微妙なところである。だがこのインスピレーションで、少しばかり埋め合わせをしてもらったような気がしている。それだけでも、行った甲斐があったのではないだろうか。おやすみなさい。

先日、神戸で行われた山田玲司先生の個展に伺った。自分は緊張するとテンションがおかしくなるので、失礼があっただろうと反省している。 先生はYoutubeと変わらずゴキゲンなかたで、握手にサイン、写真にまで応じてくださった。心より感謝いたします。画廊スタッフの皆様にも、もちろん。

自分はひとりカラオケで5時間歌う人間なので、レパートリーがいくつあるのか先日書き出してみた。156曲あった。もう少しあるかもしれない。やっぱり多いのだろうか。

校長先生の話について

校長の話は長い、というのはよく言われる話である。筆者の小学生時代の校長も然りで、校長になるには長くて意味のない話をするトレーニングを積んでいるのではないかと思われるほどであった。いま思えばおそらく自己満足であり、飽きたらそこでやめればよいのだから楽なものであろう。校庭にたくさんの生徒を集めて長広舌をふるうことが一番目立つ職業だから、わざわざ自分で自分のイメージを悪くしているようなところがある。これが短い話だと、どうなるだろうか。 これは実際の話だが、筆者の高校時代の校長先生

教科にイメージカラーがあった話

学生時代(中学・高校のころ特に)、教科ごとのイメージカラーというものを持っていた。たとえば国語は赤、古文は黄色、数学は青、理科は緑、社会科は茶色だったのだ。そして各ノートの表紙に線を引いて色分けして、ひと目で何のノートかわかるようにしていたのである。 友人が筆者の前で色の名前を言ってみたことがあったが、即座に対応する教科名を答えるので不思議がられた。色と教科の結びつきが、それほどまでに強かったのだ(他の色は考えられない)。これは大学に行っても続き、色とりどりのファイルにノー

「勉強」と「学習」とは異質である

筆者は理想的な学問を、「学習」と必要に応じた練習との組み合わせだと考えている。「勉強」は「学習」とは異質のものであるが、このふたつを混同していることが世に学問嫌いを増やしている元凶だと思う。なぜならば勉強とは「させられるもの」であり、学習とは本質的に「自然としたくなるもの」だからだ。どういうことだろうか。 「勉強」という言葉は「勉めて強いる」と書く。これは「無理にやるもの」という意味で、外発的なのだ。英語で study といえば「学問(研究)をする」、learn は「学習す

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コスプレ写真3点

盤古神話と前方後円墳の関係?

歴史はさっぱり知識がない。興味が出てきたのも最近で、いわゆる乙巳の変(むかし大化の改新と呼ばれていた事件)の成り行きさえ理解していない。 それはそうと、前方後円墳はなぜあのような形なのか、かねてより疑問だった。諸説あるようだが、筆者ならではの思いつきを記したい。 3世紀の中国に成立した、「盤古神話」というのがある。盤古(ばんこ)という巨大な神の身体がこの世界であるというもので、ウィキペディアに以下のような一節が引用されている。日本での盤古神話だ。「その身の丈は十六万八千由

名画テキトー美術館①「アテナイの学堂」より

「羊の呪い」

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静物画(花)2点