記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』を見てきた話

本日公開、先日一足先に公開された本国では賛否両論…どちらかと言えば否定的な評価が主になっている『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』を見てきました。


いわずもがな、2019年に公開された『ジョーカー』の続編。
バットマンのライバルであり幾度となく色々なバットマン映画に登場したヴィランを主人公にした、ジョーカー誕生の物語。バットマンとは切り離した単独作品としてもともとは制作されています。
前作では幼きブルース・ウェイン(バットマン)や執事のアルフレッドもちらっと出てくるが、この世界線でバットマンが出てくることはないだろうねと思わせる。そこは監督も明言していたし。
そんな前作は、R指定作品の世界興行収入の記録1位を叩き出し、おそらく配給元のワーナーも、監督すら想像していなかったであろう、まさに”事件”だったと思う。
気をよくしたワーナーがおそらく監督に続編の打診をしたんだろう。
監督も持っていたアイデアを撮りたいということで今作の企画がスタート。
企画初期の段階から既に「次回はミュージカル」というリークは出ていた。
なので、今更なぜミュージカル?という話をするつもりはない。

今作は”ジョーカー”の他に、バットマンキャラの中で”ハーレイ・クイン”と”ハービー・デント(後のトゥー・フェイス)”が出てくる。

映画が始まると、まず一番に感じるのは、前作のラストシーンはアーサー(ジョーカー)の妄想だったんだろうなと思わせること。
悪のカリスマとして覚醒したアーサーの姿は全くない。ただのアーカム(精神病院)に収監された患者の一人である。ただ、世間は前作での事件から2年経った今もヒーロー扱いしたりする人たちがいて、しかも裁判するかどうかということでまだ時の人という扱い。
看守たちとは良好な関係を結んで上手くやっているアーサーだったが、軽度の患者の病棟でリー・クインゼル(ハーレイ・クイン)との出会いがアーサーの心に恋の火をつけた。ここら辺から、急にミュージカル・パートが始まっていく。ミュージカルになるときはアーサーの心情を語る妄想の時間。
ミュージカル映画慣れしていない日本人にはやはり苦手な人も多いと思う。
2012年の『レ・ミゼラブル』が日本でもロングランの大ヒットしたけども、あれは最初から最後まで、セリフのひとつひとつを全て歌にしたことで普通のセリフから急に歌いだすという違和感を無くしたことがよかったのだが、その後のミュージカル映画がそんなヒットしたかというと、微妙だろうと思う。『ラ・ラ・ランド』位?(ディズニーアニメは別と考える)
特に今作は、『ジョーカー』の続編であり、多くの人がそこを求めていないだろうと予想できる。それがまず否定的意見の一つになると思う。

次、覚醒したジョーカーが暴れまわることを期待した人たちは、今作のストーリーに落胆したのだろうというのが第二の否定的意見の多くかもしれません。
前作はジャンルで言えば犯罪スリラーだと思うが、今作はラブストーリーと法廷劇なのだ。前作での恋は一方的な暴走の妄想だったけども、今回はジョーカーに憧れを持つリーから猛烈アプローチ。
今まで女性に縁があまりなかったであろうアーサーの心に火をつけた。
リーと出会ったことで、何だかジョーカーが表に出てきて、ナルシストな感じ…厨二病?的な感じな部分を見せ始めるのだ。
だから、「あれ?俺たちは何の映画を見てるんだっけ?」という感覚になってきてしまうところで気持ちが冷めてくるのかもしれません。そういうシーンに限ってミュージカルパートだったりするし。


< 以下、ネタバレ。映画未見の方はご遠慮ください。>



実は、今作で一番悪いやつかもしれないリー

そんなアーサーだけども、後半の法廷劇に突入していくとだんだんシリアスになっていく。でも、ここでもところどころ挟んでくるミュージカルパートが目障りな人も多いかもしれません。
でも、そこはアーサーの精神状態の現れ。ちゃんと意味がある。裁判中でのミュージカルシーン(妄想)は、イライラをMaxバイオレンスな内容。
そこで、ジョーカーな部分が目を覚まし、弁護士を首にして自己弁護をするといいだす。それを傍聴席にいたリーの目はハート。
ここで映画も盛り上がっていき、無罪を勝ち取って悪が野に放たれるのかと思いきや、待っていたのはアーサーにとって地獄だった。
TV中継されているなか、自己弁論の際、それまで馬鹿にされながらも良い関係を続けていた看守を悪く言った。そのことで看守たちの怒りをかい、病院に戻ったところで看守たちに暴行にあい(直接的表現はなかったが、尊厳を踏みにじられた)、しかも何かを感じ取ったアーサーを慕う患者が騒ぎ出し、それを看守が絞め殺してしまう音を部屋で呆然と聞いていたアーサーの目は死んだ魚のよう。
そこで、自分の非力さを感じたのだろう。
最終弁論の際、自ら「ジョーカーは居ない」と言い涙を流す。
リーを含め、裁判を傍聴していた支持者たちは落胆し、法廷を出て行ってしまう。有罪が決まり閉廷する間際、裁判所の外で爆弾テロが起こり法廷が吹っ飛ぶ。裁判長や陪審員は吹っ飛び、検事のハービー・デントも瀕死の状態。なぜかもろに吹っ飛んだアーサーはフラフラと外に出て支持者に保護されるのだが、ジョーカーでは無くなったアーサーにとって、その支持者も恐怖の対象だったのだろう。あと、リーの元に行きたかったアーサーは車から逃げリーと再会するが、リーはジョーカーではないアーサーに失望し、離れていった。そこで警察に捕まり病院へと連れ戻される。

前作が<アーサーがジョーカーになっていく物語>だとすれば、
今作は<ジョーカーになることが出来なかったアーサーの物語>なのだと思う。
前作、境遇からアーサーの精神がどんどん壊れていき、暴力面が表に出てきて殺人を犯し捕まり、今作では精神もボロボロに滅多打ちになってしまう。そんなアーサーがかわいそうで、その姿に共感してしまう人も中にはいると思う。私がそうだった。
アーサーは妄想することで、自身の精神を保っていた。そこも妄想族な私なので共感できる。
不幸の塊であるアーサーに、悪のカリスマな姿はもう見受けられない。

実は、もともと続編は作られることは想定されてない中で前作を制作しているから、あれで終わっていれば悪のカリスマ爆誕で終わったのだが、続編が決まり、監督はおそらく実は別の形でジョーカーの誕生を描きたかったのだろうなというの感じたのがラストシーンだった。
これに関しては、既に考察が色々と出ていて私が思った考察も既に出ているので、そこはあしからず。

映画の中で要所要所映るある患者が、最後にジョーカー支持者だったことが分かるのだが、今のアーサーの姿に失望したその患者にアーサーはめった刺しにされる。
実は、その前のシーンに意味ありげに笑う看守が映るので、それにそそのかされたそいつが刺したのかと思ったのだが、刺された後に出てくる歌の歌詞を見ると、そういうことかとなる。歌詞の中に「跡継ぎ」というワード。それは、リーが妊娠したという(嘘かもしれないけど)ことで子供が欲しかったという意味合いと、自分がなれなかったジョーカーを継いでほしいという意味合いがあり、そのあとのシーンで、おそらく死んだであろうアーサーの後ろで、刺した男はぼんやりとだが自身の顔をナイフで切りつけている姿が映る…そう、まさにその男がジョーカーになったのだということ。
アーサーは、ピエロの格好をしてTV中継中に殺人まで犯した病人で自らをジョーカーと言ったが、本当の意味でジョーカーにはなれなかった。
偶像化された「ジョーカー」に憧れた一人の男がアーサーを殺し、本物のジョーカーとなる…監督は、前作と今作を通じて最後にジョーカーが生まれる物語を撮ったのではないかと思った。

そう考えたら、今作の評価も少しは変わってくるのだろうなと思う。
私的には、こういうテーマの映画は好きなので、そこまで低評価ではない。
ミュージカルもそんなに好きというわけではないけども、意味のあるシーンとしてみれば納得も出来る。
これは答え合わせとして、劇場でもう一度見るかソフト化して何度か見てみるかが必要かなと思いました。

とにかく、今作は暗く切ない物語だったな。それに尽きる。
ただ、今の私の精神状態にはぴったりだったかもしれないな。

ちなみに、副題のフォリ・ア・ドゥはフランス語で「2人狂い」を意味します。一人の妄想が他人に感染して複数で同じ妄想をする精神障害です。

ん?もしかして、実は今作自体がアーサーの妄想の物語だったりして…。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集