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夏目漱石『坊っちゃん』解説#3

#3 キャラクター小説としての『坊っちゃん』


 おはようございます、こんにちは、こんばんは。Number.Nです。
 よろしくお願いします~。

 夏目漱石『坊っちゃん』解説の最終回です!
 ここまでお付き合いください、ありがとうございます。この回が、僕の考える『坊っちゃん』論の本質に当たる部分ですので、ぜひ最後まで読んでいってもらいたいと思っています!


 #1 #2の記事のリンクを貼っておきます。まだ読んでいないよ、という方は、先に読んでおいてもらうとより理解が深まるかと思います。もちろんこれだけ読んでもらっても、問題ないつくりにはなっていますので、ご安心を。

 それでは、元気よく解説に入っていきましょう!


リアルな人間描写はストーリーを退屈にする

 #1の最後に、『坊っちゃん』は「近代最大の文豪が書いた、近代小説らしからぬ代表作」であると表現しました。
 近代小説らしくない理由は、物語の造りが「勧善懲悪もの」という江戸時代の戯作文学的であるから、と説明しました。また、他の理由として、登場人物の造形も近代小説的でないと述べてあるように思います。

 #3では、この登場人物の造形から切り込み、『坊っちゃん』の新たな一面を見つけていきたいと思います。

 これまでにも触れたように、近代小説は人間の内面の感情を描写することを目的の一つとしています(正しくは人間の内面を描くことが目的化した作品が多い)。
 人間をできる限り正確に描写しようと思うと、物語も現実に即した環境である必要があります。

 ドラゴンボールの世界観で個人の葛藤のモノローグが語られてもリアリティーがないですよね。つまり、人間をそのまま描こうとしすぎると、話の内容や設定も現実的になり、ストーリーが退屈なものになりがちなのです。

 先に断っておくと、必ずしもストーリーが凡庸であることが悪いことではありません。その分、近代的小説は文体であったり、心理描写の精密さや、表現の豊かさで魅せてきました。
 逆に、難解な文体でライトノベルを書かれたら途中で読む気が失せると思います。小説には小説の、ラノベにはラノベの良さがあるわけです。

 と、話を元に戻します。

 人間をリアルに描写しようとすれば、ストーリーは凡庸なものになり、ストーリーを派手にすればリアルな人間を描くことは難しくなります。

 実は、近代の「小説」という物語の形態が異常に人間をリアルに描こうとしたというだけで、小説以外の文学作品は登場人物のリアルさよりもストーリーの面白さを重視することは珍しくありません。

 例えば、『源氏物語』は主人公の光源氏が「容姿端麗・勉学秀才・家柄抜群」と非の打ち所のない存在として描かれています。もちろんそんな人は現実にいないわけですから、リアルな人間とはいえません。『源氏物語』の場合、現実世界の話ではありますが、現実にはいそうにない登場人物による、現実離れした派手なストーリーであるといえます(1)。

 #1で扱った、『小説神髄』を思い出してください。
 『小説神髄』は、坪内逍遥が書いた、小説の書き方、もしくはあり方の指南書です。坪内はここで、近世までの戯作をはじめとする文学作品を批判し、あたらしく「小説」を書くことを求めていきました。

 『小説神髄』では、『南総里見八犬伝』のような、主人公が完全に善であり、勝者である作品を批判します。裏を返せば、江戸時代までの文学作品は現実にはいない登場人物を描いた、現実離れしたストーリーの物語が多かったということになります。


登場人物のキャラクター性

 リアルな人物造形よりも物語性を重視した文学作品は、類型的な特徴を持った登場人物(2)を作り出します。

 その最たる例が、漫画・アニメ・ラノベのようなサブカルチャーに見られるキャラクターです。

 キャラクターに関する議論は別の回で詳しく議論するので、ややこしい話はなしにしますが、サブカルチャーに見られる登場人物は「性格」「役割・立場」「容姿」などによって細分化・類型化がなされており、その組み合わせで人物造形がなされているといえます。

 例えば、『エヴァンゲリオン』のアスカの場合、

  アスカ=ツンデレ+主人公の仲間・ライバル+茶髪&赤い服etc…

 『スラムダンク』の桜木花道の場合、

  桜木花道=ヤンキー・単純+主人公+赤髪坊主etc…

といった具合です。

 このように、それぞれの作品のキャラクターはその「性格」「役割・立場」「容姿」といった要素が取り出され、他の作品を読んだ時にも、あのキャラクターと似ているな、と読者に想起させます。

 『エヴァ』のアスカを知っている人からすれば、茶髪や赤い服を見ると、「気の強い性格、もしかするとツンデレかもしれないな」と、他作品の登場人物を見てもそう思うわけです。

 このキャラクターに関する考え方は『坊ちゃん』にもあてはまります。

  ・坊ちゃん=無鉄砲+江戸っ子+単純・短気

  ・赤シャツ=エリート+策略家+ナルシスト

 このように、『坊っちゃん』の登場人物は「キャラクター」的であるといえるのです。


『坊っちゃん』の持つサブカルチャー性

 ここで、坊っちゃんの主だった登場人物について簡単に見ていきましょう。『坊っちゃん』の登場人物がいかに類型的、すなわちキャラクター的か分かると思います。

  • 坊っちゃん・・・・・・無鉄砲で直情的。単純・短気で怒りや正義漢に身を任せ行動を起こす。江戸っ子。

  • 清・・・・・・学はないが人の良いお婆さん。士族の家の生まれだが没落した。

  • 赤シャツ・・・・・・典型的なエリート。ナルシストっぽい。策を巡らし、手を汚さずに実利を得る。嫌みな奴。帝大卒の文学士。

  • 野だいこ・・・・・・太鼓持ち。赤シャツの腰巾着。上手く立ち回るタイプの江戸っ子。

  • 山嵐・・・・・・無骨な正義漢。曲がったことが嫌いで強情。赤シャツと対立する。会津出身。

  • うらなり・・・・・・お人好しで気が弱い。善良な君子。松山生まれ松山育ち。


 このように、それぞれの登場人物は典型的な性格を有しています。『坊っちゃん』の場合、それぞれの登場人物の出自が、登場人物の性質と呼応している点が面白いです。

 上の六例を見てもわかるように、応援したくなる主人公側と、いけ好かない敵側に綺麗に分かれていると思います。


   ・人の良いお婆さん+人望のある正義漢+聖人君子

     vs
 

   ・嫌みなナルシスト+太鼓持ち


 この形式が明白であるからこそ、読者は自然と主人公たちに肩入れ、感情移入し、赤シャツたちが懲らしめられることでカタルシスを得るという構図に誘導されるわけです。

 百年以上も前に執筆された『坊っちゃん』が今でも国民的文学なのは、分かりやすく、読み始めるためのハードルが低いことが大きな要因ですが、そのハードルの低さは、キャラクター小説的であるが故のストーリーの分かりやすさ(面白さ)に起因しているといえるのではないでしょうか。

 これこそが、『坊っちゃん』のもつサブカルチャー性だと僕は思います。
 きっと、漫画やライトノベルを多く読んでいる読者は、『坊っちゃん』と相性が良いと思うのです。


まとめ

 三回にわたる、『坊っちゃん』解説を読んでいただき、本当にありがとうございます。
 導入まで含めると1万5千字近くになります。中々の分量ですね笑。卒業論文くらいの分量になっちゃってますね。

 『坊っちゃん』解説を通して、『坊っちゃん』という作品がちょっとでも面白そうだと感じてくださったり、読んでみよう(読み返してみよう)と思ってくださったりしたら、これほどうれしいことはありません。

 僕自身も、この文章を書きながら、『坊っちゃん』を読み返してみましたが、やはり面白い作品だと実感しました。
 やっぱり、文学は面白いですね~!

 それではまた、お会いしましょう!



(1)いくら平安時代とはいえ、若紫を連れ去って自分好みに育てるというのは現実には起こりません。また、臣籍降下した貴族が天皇の女御に手を出し、あまつさえその子供が帝になるなどぶっ飛んだ展開といえます。

(2)光源氏を例に出せば、「容姿端麗・勉学秀才・家柄抜群」が特徴というわけです。

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