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怒りの感情で埋めることをやめる

その前に怒るのはなぜか?を見てみると「ずるい!」がある。
・こんなに頑張って仕事しているのに評価されないくて、先輩から気に入られる人が評価されている→ずるい!
・おもちゃを妹に譲ってあげたのにお母さんが誉めてくれない→ずるい!!
・こんなに我慢、頑張って働いているのに給料が上がらない→ずるい!!!
・正論で論理立てて会議に議題を上げたのに取り扱いが雑。どうでもいいことに時間ばかりかけている→ずるい!!!!
・男は出世出来て女だからという理由で出来ないずるい!!!!!
⇒怒り狂ってやる!と同時にどうせ私なんか要らない人間ですよとの感情のループ。
ずるい!で怒り狂い、そんな自分にも怒り狂っていたのである。併せて自己肯定を低くする。つまり怒りと自己肯定の低下の感情で足りない自分を埋めていた。これも「本当の自分」=『見るもの』=プルシャを『見られるもの』=プラクルティ=「物質社会の自分」と思い込んでいたからだ。
本当の自分は見るものであって見られるものではない。つまり見られるものとは物質社会の根本であるが、それが本当の自分と思い心の変動や行動を起こしているとヨガスートラ。感情に振り回されてとにかく疲弊していたのである、だって見られるものが本当の自分と思い込んでいたのだから。

あと、もう1つずるい!と思い込んでいた理由に正しいこと、つまり自分が取り決めた価値、基準、通念で正しいこと、正しくないことを判断していたのである。自分が決めたルールにのっていない人は、私はこんなに我慢しているのに、そのような行動、考えでないことがずるい!になる。その逆が正しいになるのである。そこには自分の価値観に「不幸せ」であった。不幸せの判断基準(私の色眼鏡)だから、もっとずるい!!と怒り狂ったのである。
だから「幸せを受けとりましょう」「愛を受けとりましょう」なんて言われたって不幸せが私の色眼鏡だからその逆なんて無理!自分なんて幸せ受けとる資格なんてない、出来ない!!。。とまた怒るのである。宇宙の法則を受け取らずして、さらに不幸せを握りしめていくのであった。
このような感情を見ていきここ3日ぐらいはキツかった。夢も暗い海に自分が乗って船が沈没したり、とにかく暗闇が怖い、妹が死んだのに仕事に行かなくちゃならないなど不快な内容が続いた。

そして気づいたこと。それは、もう怒りと自己肯定の低下で埋めるのではなく、すでに自分を幸せである状態であって満たされているである。幸せである状態を私の色眼鏡にして進んでいこう!

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