嫌われたいとみずから願う人
”自傷行為も摂食障害も女性に多いといわれるが、男性の被虐待経験者の場合、危険なスポーツにのめり込むといったことも見られる。登山や冒険などは通常、病理とも逸脱ともみなされない。しかし危険度が高い場合や、どんどん危険性が増していくような場合、それが自己破壊的行動とみなされないのは文化的な価値観の相対性ゆえでしかない。ある行動を正常範囲の行動とみるのか、病理的とみるのか、逸脱とみるのか、それとも創造的な行動とみるのかは、社会や文化の価値観によって異なる。“ 宮地尚子『トラウマにふれる 心的外傷の身体論的転回』金剛出版、2020年、167頁。
依存あるいは自傷というときに、もちろん狭義の医学的症例は存在するだろう。リストカットや摂食障害。薬物依存やアルコール依存、パチンコ依存や性依存、ゲーム依存やインターネット依存等々。自らの心身を痛めつけ、傷つける。やっていないときもその嗜癖が頭から片時も離れなくなり、生活に支障を来たすようになる。そこまでになれば、その人は精神疾患その他の状態であると判断されるのにじゅうぶんであり、専門家による治療や組織的支援が必要となるであろう。
しかし冒頭に引用した宮地尚子氏の言葉に驚くと同時に「言われてみればそうかもしれない」と腑に落ちる人も多いのではないか。登山を趣味にしている人からすれば、依存症と同じ文脈で語られることは不愉快かもしれない。しかし遭難や凍傷の危険を冒してでも山に登る人が、げんにいる。死の危険を何度も生き延びてきたが、それでも再び挑戦し、とうとう命を落としてしまう人もいる。だが登山を自傷や害悪と捉える人はほとんどいない。そこで宮地氏の言葉を読み味わうとき、彼女は依存、あるいは自傷を、善悪とは別の地平で捉えていることが見えてくる。
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