ワインポッターとマダムの予言
人生なんて、まっすぐ歩いてるつもりでも、気づけば脇道に入り込んでることがある。
コロナ禍は、そんな脇道への入り口だった。
お酒と飲み会をこよなく愛していた私にとって、「飲みに行くことが悪」とされる日々は禁酒法時代の再来みたいだった。
まさか、居酒屋に向かう足取りを後ろ指さされる日が来るなんて――。
行き場を失った私の飲み会への情熱は、当然のごとく「宅飲み」にシフトする。家飲みこそ正義の時代、STAY HOME。
で、家で飲むとなると、これが思いのほか楽しい。夜な夜な夫婦でワインを開けるうちに、気づけばどっぷりハマっていた。
1本3000~5000円のワインなんて、外で飲んでた頃は「お高くとまりやがって」くらいに思っていたけれど、宅飲みならお財布も心もオープンになる。外食代を考えたらむしろお得!と自分に言い聞かせながら、今日はフランス産、明日はイタリア産と飲み比べ。
品種の違い、産地の違い、熟成の違い――気になったら気になる性格のせいで、ワインはすっかりコロナ禍の相棒になっていた。
「よし、ソムリエの資格でも取るか!」
思いつきは、今年3月のこと。勢いだけで決めた。脇道に逸れがちな人間は、細かく計画を練るより、ひとまず走り出すほうが得意らしい。
ところがこの脇道、想像以上に険しかった。
試験勉強は、“ガリ勉”と呼べるレベルに達した。ぶどうの品種を覚え、産地を覚え、製法を覚え――白目をむきながら暗記し続ける日々。舌を鍛え、鼻を鍛え、ワインを嗅ぎすぎて鼻血が出るかと思った。
「ワインって飲むものじゃないの?嗅ぐものなの?」
そんな疑問を抱きつつも、気づけば最終試験に合格。11月、私はソムリエになっていた。
そこで突然、記憶のフタがパカッと開く。
――14年前、あの瞬間。
18歳だった私。
東京・仙川にある小さなフレンチレストランで皿洗いのアルバイトをしていた頃のことだ。
パリ帰りのシェフと、その奥さんがホール担当。わたしを入れても3人だけで回しているこぢんまりした店だった。メニューは季節のコース一本勝負。雰囲気のいいお客さんでいつも満席だった。
そんなある日、カウンターに座る常連のマダムに呼び止められた。
「ちょっと、これ飲んでみなさい。」
差し出されたのは、一杯のワイン。
困った。ワインなんてまともに飲んだことがない。
「どう感じる?」
いや、そもそも何をどう感じればいいのかすらわからない。
唐突な質問にパニックになった私は、苦し紛れにこう言った。
「いや~、頭の中にブドウ畑が広がりましたね!」
我ながらよく言ったものだと思うけれど、マダムは目を輝かせて笑った。そして、こう言った。
「良い舌ね!あなたは将来、ソムリエになるわよ!」
……いやいや、ならないよ!皿洗いだし!
と思っていたはずなのに、どうだろう。
14年後、気づけば私はソムリエになっていた。
まるで、伏線回収された物語みたいに。
人生は予定通りにいかない。でも、だからこそ面白い。
脇道に逸れたと思っていたら、いつの間にかその道が“本線”になっていたりする。
あの日のマダムに、今ならこう言える。
「あのブドウ畑、まだ広がり続けてたみたいです。」