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みたいものしかみえない

 これまで18年位知的障害者福祉の仕事をしてきました。正確には分かりませんが、300人以上の障害者の方たちと出会ってきました。いろんな人がいました。どうしてこんなことするんだろう?どうしてそこが気になるの?そう思うことが良くあります。ほとんどが自閉症の人ですが…


 例えば、散歩に行くと必ずマンホールを踏まなければいけない人。どうしてマンホールに合わせて、くねくねと歩くんでしょう。サントリーのウーロン茶が大好きなOさん、数百メートル先でも、青いサントリーの自販機を見つけると、一目散に走っていこうとします。あの凄い執念は、尊敬に値します!


 ○○○の利用者を見渡してもいますよね。△△さんとの出会いは、○○○に来る前からです。前の施設の短期を利用していて、利用中に無断外出されました。彼が玄関を乗り越えて向かった先は、お隣のお宅のガレージでした。お子さんの自転車が倒れておいてあるのを直して戻ってきました。テラスや八角堂の屋根にある落ち葉を気にすることがあります。掲示物も不思議です。「△△」とサインしてある物は気にせず、こちらが勝手に掲示したものは、是が非でもはがそうとしてしまいます。今でも、細かいゴミを見つけるのは、本当に凄いと思います。

 ゴミと言えば、□□さんも○○○の環境維持には、しっかりと貢献していると感じています。マンホール・サントリーの自販機・倒れている自転車・サインのない掲示物・落ち葉やごみ…は、ぼくらにとって一見価値が無い物も、彼らにとってとっても見たいものなんだということでしょう。支援も、問題行動を見るのか?長所を見るのかでアプローチは違ってきます。アプローチが変われば、彼らの人生自体にも、大きな影響を僕たちが及ぼすことになります。


 僕たちにも、同じようなことがあります。昨年車を買いましたが、車種を決める際にやたらと候補の車を見つけました。その車種が急に増えたわけではなく、こちらの意識が変わった結果、見かけることが多くなったわけです。ゴミと言えば、△△さんや□□さんを見習って、最低1日1個はどこでもごみを拾おう!週2回は、必ず事務所を掃除しよう!そう決めてからは、落ちているゴミがやたらと気になってきました。というより、見て見ぬふり、見たくない物には出来なくなりました。それまでは、誰か別の人がやってくれれば良い、自分は関係なしと考えていました。


 人や組織なんかを見る時にも、同じようなことが起こります。そもそも人も組織も、100%完璧なんてことは、あり得ません。長所があれば短所もあり、得意があれば苦手もある訳です。大好きだった人も、嫌なところばかりに目に行くようになり、挙句の果てには離婚なんてことがあるんです。(経験者は語る(笑))職場でも、一つ嫌なことがあると、職場自体や会社自体のすべてが最悪に感じ、それを吹聴して職場の雰囲気を壊してしまったり、仕事を辞めてしまったりなんてこともあります。


 見たいものをコントロールしているのは、他人や親でしょうか?社会の中にルールでもあるのでしょうか?マンホールやごみを見たいとか、人や組織の長所か短所か、何を見るかと決めているのは、よく考えてみるとすべては自分自身が決めているんですよね。言ってみれば、一人ひとりが見たいものを見れるメガネを持っているということです。メガネと言うことは、掛け替えることが出来ます。短所や苦手ばかり見えるメガネだと感じたら、長所や得意しか見えない、ちゃんとごみが見えるメガネに変えてみたら良いじゃないでしょうか?それ自体に良し悪しがあるわけではなく、すべては自分次第で善悪なんかを決めているってことですよね。


 今掛けているメガネを自分の意思で変えるだけで、世界が変わっていくかもしれません!


2020.1 しせつちょうだよりより

だれかの気づき・きっかけになりますように!

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