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悪者は、存在しない

これまでの障害者福祉の経験の中で触れ合った人は、入所施設が多いので重度で行動障害の人達が圧倒的に多かったように思います。今でこそそうした人たちの支援には、障害者理解や知識・技術は持っていると一応自負はしています。しかし、最初の頃はそういったものを持ち合わせていなくて、上手くいかないことばかりでした。


その当時、上手くいかないとどうしたか?知識・技術も持っていない専門職とは胸張って言える状態にも無いにもかかわらずどうしたか?答えは…悪者探しをしていました。こともあろうことか、その利用者本人が悪い。こっちの言ってること理解しないのが悪い。そもそも障害自体が…と、そのまま突き進んでしまえば、あの植松被告と同じような思想に陥っていたかもしれません。。。


次に悪者にしていたのは、家族・保護者でした。親の育て方・態度・関わり方が悪い。支援学校のレベルなのに、普通級に通わせたから…、何でもかんでも施設におんぶにだっこしやがって…自分だって、自宅に帰って子育てして、分からないことだらけ、上手くいかないことだらけだったにも関わらずに、こんな考え方でした。


1番多く悪者にしたのは、組織や同僚・上司・部下、身近にいる人たちでした。あんな利用者を入所させたトップが悪い。知識や技術を教える研修やってくれない。上司の指示が…部下がレベル…。こうなってくると、良好な人間関係は保てないし、職場の空気も伝染してドンヨリしたり、ピリピリしたりします。仕事自体も楽しくなくなっていきました。誰かを悪者に仕立て上げ自己正当化して、自分の不甲斐なさを誤魔化していただけなんだと思います。その当時を思い出すと自己嫌悪に陥ります。。。まったくカッコ悪い、自己中な自分でした。


こうしたことは、私だけの問題だけではなく、障害者支援の現場だけでもなく、意外と身近で起こっています。学校や職場で起こる虐め、家庭内で起こる虐待やDVの問題も然りです。組織で起こる問題も、そのほとんどは人間関係がもたらすことが経験上多いです。それらの発端は、紐解くとすべてこの悪者探しに要因がある気がします。


支援が上手くいかない私の事例で言えば…
  利用者は、安心した生活や仕事がしたいから、入所通所しています。
  家族や保護者は、自分の家族に安心した生活や仕事をさせてあげたいと願っています。
  組織や職員は、障害者に安心した環境や支援を提供することが、その施設の存在意義です。


よく考えてみれば、障害者本人も、家族も、組織・職員も、全員同じ思いを持った同士です。それにもかかわらず、どこかで歯車が狂い、正義と悪者を作り出そうとします。正義と悪者と言えば、仮面ライダーが正義でショッカーが悪者です。仮面ライダーの目的は、世界の平和。ショッカーの目的は、世界征服です。目的が真逆です。


○○で言えば、障害者の役に立ちたい!楽しく働きたい!皆同じ思いを持って、働いてくれているんだと思います。目的が同じ集団の中で、悪者が存在するのでしょうか?争いごとは、両者ともに正義だと思っているから起こります。正義の反対は、もう一つの正義です。悪者は、どこにも存在しないのではないでしょうか?あるとしたら、悪者がいると感じた人の心の中にだけに存在しているのでしょう。私も考え方を変えなければ、その悪者と思う人がいなくなっても、また別の顔をした悪者や上手くいかないことが次から次へとやってきたでしょう。


職場とは、様々な経験や違う価値観を持った集団です。我々が目指す働きやすい職場№1の職場は、誰が良い悪いじゃなくて、同じ目的・目標に向う仲間として、手を取り合って前進することが大切なのではないでしょうか?少なくとも、私にとって職員の皆さん一人ひとりは、かけがえのない大切な仲間です!

2020.2 しせつちょうだよりより

だれかの気づき・きっかけになりますように!

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