読書感想③
※村上春樹さんの、上記の本を読んで思ったこと感じたことを綴っています
芸術行為とは、そもそもの成り立ちからして不健全な、反社会的要素を内包したもの。だからこそ芸術家の中には、実生活そのもののレベルから大敗的になり、あるいは反社会的な衣装をまとう人々が少なくない。それは理解できるが、生き長く職業的に芸術活動を続けていこうと望むなら、我々はその体内の毒素に対抗できる、自前の免疫システムを作り上げなくてはならない。そうすることによって、我々はより強い毒素を正しく効率よく処理できるようになる。よりパワフルな物語を立ち上げられるようになるということだ。ただ、長期にわたって維持するために自身の基礎体力の他に、エネルギーを求めるべき場所がどこに存在するのか?
真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなくてはならない。それが僕のテーゼである。不健全な魂もまた、健全な肉体を必要としているわけだ。健康なるものと不健康なるものは決して対極に位置しているわけではない。お互いを補完し、ある場合にはお互いを自然に含み合うことができるものなのだ。若い時に優れた美しい、力のある作品を作っていた芸術家が年齢を迎えて、疲弊の色を急激に濃くしていくことがある。やつれ方にはそれなりの味わいもあるかもしれないが、できることなら僕はそんな「やつれ方」を避けたいと思う。
僕にとって小説を書くのは、峻険な山に挑み、岸壁をよじ登り、長く激しい格闘の末に頂上にたどり着く作業だ。人はいつか負ける。肉体は時間の経過とともに否応なく滅びていく。そのポイントを少しでも先に伸ばせればと思う。僕に「やつれている」暇はない。「あんなの芸術じゃない」と言われても、僕は走り続ける。
今日はここまで
◎今回の感想
すでに本書は読み切ったのですが、感じたこと私のフィルターを通して話したいことが沢山あるので、小分けにしてnoteに綴ります。
私は、読書感想であったり、自己啓発本から生かせる情報の抜粋なんかを、とりあえずnoteの更新記録を360日まで絶やさないように更新してますので、毎回長文というのも見にくいと思います。
貞の良い言い訳に聞こえるかもしれませんが、そういったわけで、今回は本書の中のほんの一部を抜粋(そのままではありません。端折ってますのでオリジナルの表現とは少し違います)して感想を述べます。
芸術行為を「不健全な行為」と表現するあたり。
黙々と絵を描き続けていた時期が私のもありますが「あれは不健全だったのかな?」とふと思い起こしました。絵を描くといっても鉛筆で描く写実画なんですが、昔から対象物をそっくりそのままリアルに近い形で書くことに興味?好意?があって、それなりに得意な私です。
3年前に離婚した時、気を紛らわせるために、弟から「昔得意だったじゃん。絵でも描いてみなよ」との進言もあって約半年間、写実画を描きました。
おかげでその頃の滅入ってしまっていた自分を誤魔化して、心を落ち着けることができたのですが、今思えばその時の生活は、確かに不健康だったのかもしれません。
私が絵を描くときは、ぶっ通しで描きます。
休みの日、朝10時頃に起きて絵の創作にあたります。それから食事もせず気づけば夕方18時とか。夜まで描いていたこともあります。
机に向かって描くと腰の痛さで描けなくなるので、コーヒーを相棒に、うつ伏せになって床で描いていました。ずっと寝転んだまま体もほとんど動かさず、食事も取らずやり続ける。確かに健康的とはいえません。
(食事を取らないことが不健康なら今の食生活も不健康ということになりますが笑)
でも、作り上げた時には自分の何かが昇華された気分になる。
私の場合は、その頃精神的にボロボロで、何かしら自信を持てることが必要だったから取り組めていたことと、そもそも「そっくりそのまま写す」行為なので芸術と呼んでいいものかどうか…だから、村上さんがいう芸術家の「それ」とは全く違う感覚の話をしてしまっているかもしれませんね笑。
世間から「アーティスト(芸術家)」と評される人達は、不特定多数と同じでは作品にならないので、逸脱した作品を作り上げる必要があります。美術館なんかにいった時、良い意味で「この人絶対頭おかしいだろうな」と思うような作品は沢山あります。
同時に、それをみて「描き続けたい」「描き続けなくてはならない」という気迫も伝わってきたりします。
あくまで私の感覚なので作品の向こう側の作者がどういう考えなのか定かではありませんが、それが村上さんのいう普段表に出せない「内なる毒」の表現なんでしょうね。
…ごめんなさい、あんまり内容の濃いこと書けてませんね笑
まあ、才能のある人は短命だったりしますし、内なる自分と向き合い続けてしまってそのまま引っ張り込まれて「やつれる」感覚はなんとなくイメージできるので、芸術家であっても健康は大事だと思いました。
前回も綴りましたが、精神の安定性は運動で解消されますから、走ることは道具も何も必要なく、ウェアとシューズだけあれば日常に取り入れることができますから最適ですね。
大きな毒を制するために、肉体を鍛錬して精神を鍛える。
20年以上も、毎年、フルマラソンを走り続けている村上さんだからこそ、多くの人に受け入れられる魅力ある作品を作れているのだとしたら、毎日数キロでも走ることで、日頃の会社勤めで起る「毒」程度は抑え込めて当然なのかなぁとも思いました。