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お節介と親切の違いとは?

日本語教師になられる方は、親切な人、お節介な人が多いとよく聞きます。

私のイメージだと医療系の仕事や、保育士、教師になりたいと言う方もそのような方が多い印象でした。
しかし、実際の現場で働いている方からしたら、両極端だと言う人もいます。

偏見かもしれませんが、親切な人、お節介な人は、基本性格は大変いい人だと思います。
まあ、人のことを気にかけることができる、いろいろな意味での余裕がある人とも言えると思います。
また、人に親切にしなさいとか言われる環境だったとか、余裕がある環境だったとか、本人の生まれ育った環境などの影響も大きいのかなと思ったりもしています。

自身の経験としては、関西に住んでた時は、お節介な人が多かった気がします。それはそれで普通だと思ってたし、ありがたかったと思っていましたが、働き出して関東に出てきて、関西独特のお節介から逃れることができて、気楽になったところもありました。そして、お節介と親切の境目は人によるなと思うようにもなりました。

また、特に最近思うこととして、日本語教師の仕事において、お節介も焼き方は難しいと思うようになりました。
見解としては、親切は誰に対しても必要だが、お節介は人を選んで焼くものだなと思うようにもなりました。

あと、お節介な人は、たまに自分で自覚してる人もいますが、ほとんどは自覚していないことが多いため、結果トラブルになるというケースも多いと思ってます。

では、相手としては親切で、やってる、言ってることでも、こちらからしたら、お節介というのはどういうことだろうか?

私が思うお節介は、こちらがお願いしていないのに、お願いした以上に、余計な行動、一言が多いため、それまでやってたこと、言ってたことまで不愉快になることかなと。
では、お節介と親切な境目は?そうおもってしまう、その違いは何か?

相手がやって欲しいことと自分がしてあげたいことの境界線が一致してないこと

だと思います。

あとは、結局のところ相性だったり、その人との関係性なのかなと思います。

同じことをする、言うにせよ、知り合って間もない人と、何年も親しい友人だと違うし、親族や親子とかだとまた違うのかなと。会社の人でも、職種、付き合いの年数、立場、年齢にもよるのかなと。

あと、それぞれの関係性の認識違いもあるとも思います。
友達と思ってる、単なる知り合いと思ってる、尊敬する人、尊敬してない人、など。

その他、それぞれの生まれた国、育った国の体質、集団主義と個人主義の考え方、宗教観、価値観の違いもあるのかなと思います。

結局のところ相性は、それなりな付き合いをしてみないとわからないと思います。やりとりをしていく中で、その人その人との距離の取り方、親切とお節介の境界線を見つけるのが良いのかなと思います。


今日はこの辺で。

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