見出し画像

Can-doが概念を変える!

日本語教師の勉強をしていく中で頻繁に出てくるキーワードがいくつかあります。

その中の一つが、「Can-do」です。 
日本語教育におけるCan-do とは、Can-do Statementsの略で、外国語を使って何がどれだけできるかを「~できる」という形式で示した文のことです。

また、国際交流基金が、日本語を母語としない外国人に対して、日本での生活場面で求められる基礎的な日本語コミュニケーション力をCan-do Statement(「~できる」という課題遂行力を表す形)で記述し、「JF生活日本語Can-do(JF Can-do for Life in Japan)」としてリストにまとめたものもあります。
※詳細は下記リンクをご参照ください。

すでに日本語教師の方々にしてみれば釈迦に説法かと思いますが、素人の方にとっては、かなり新鮮に思えるサイトだと思います。
個人的には日本語教育に今は興味なくても、国際交流基金のWEB、特にリンク集を色々見ていくと、日本語教育、日本語教師に関心を持たれる方もいらっしゃるのでは?と思うぐらい魅力的なサイトだとも思います。

「Can-do」の何がすごいの?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、日本に限らず言語教育の歴史を少し勉強すると、革新的な考え方だなと思います。また、このような考え方での言語習得が浸透することが、言語の異なる人間同士の交流や、経済活動、働き方も大きく変化させることが可能なのだなとも思いました。
現に、ヨーロッパはこの考え方のおかげて、活性化されていると個人的には思います。

話が飛びますが、そもそも、「よみ、かき、そろばん」ができる人=教養のある人、勉強ができる人の時代から、みんなが言語を学ぶことが当たり前の時代となったことで、不特定多数の人間が学べる有効手段として、教える側にとって一番都合の良い文法中心の言語学習が中心になったと思います。しかし、近年は言語学習の観点で、文法中心の勉強から、色々変化してきています。
その中でも特に、「Can-do」のような考え方は、文法中心の言語習得が特に苦手だった人にとっては、大変有効だと思いました。
ただ、Can-doは教える立場の人にはなかなか難しく、高いスキルと経験が必要な手法だなとも思いました。

またまた少し話は飛びますが、勉強、仕事の考え方も変化してる中で、Can-doの考え方は語学以外の分野にももっと取り入れてもいいのでは?と思ったりもしています。
既に実践済みかもしれませんが、
例えば、会社の新人研修や、何かに特化した研修など。
あと、外国人に限らず、特に専門職には、Can-doという考え方で、仕事を遂行するのであれば、採用基準や考え方、今後人材活用の観点でも有効なのではとかも思いました。

????ですよね???

その辺りの深いツッコミについては、また別の機会に。
個人的には、Can-doという言葉は、日本語教育以外の分野でももっと浸透したらいいのにと思ってます。

とりあえず、まずは、Can-do啓蒙活動から始めます!!
日本語教育に興味がなくてもこの言葉は是非覚えてください♪


今日はこの辺で。

最後までお読みいただきありがとうございました😊





この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?