立命館大学初代生命科学部長谷口吉弘先生に聞く、BKCの誕生にみる大学のイノベーション(2-1) 留学生受け入れ活動
表紙写真:立命館大びわこくさつキャンパス,立命館大学広報
立命館大学初代生命科学部長谷口吉弘先生に聞く、BKCの誕生にみる大学のイノベーション(1-1)(1-2)に続く(2-1)です。2012年2月にFor Lifelong English (TOEFLメールマガジン)に掲載したインタビュー記事を(2-1)(2-2)の2回に分けてそのままお届けします。
谷口 吉弘先生略歴(2011年当時)
1980年代後半から、21世紀学園構想委員会に委員と して参加して、「21世紀の立命館学園構想」の中で、新 しい理工学部の教育と研究の展開について答申し、理工学 部のBKC(びわこ・くさつキャンパス:滋賀県草津市) への移転後、理工学部再編拡充事務局長として理工学部の 改革を実施した。1998年から3ケ年間、理工学部長を 務める。また、2007年から、生命科学部・薬学部の設 置にかかわり、2008年から3ケ年間初代生命科学部長 を務める。現在、学校法人立命館 総長特別補佐。文部科 学省国費留学生の選考等に関する調査・研究協力者会議 主 査、経済産業省アジア人材資金構想 評価委員、日本国際教 育大学連合 常務理事を務める。
聞き手:鈴木(2011年当時)
立命館大学生命科学部生命情報学科教授
慶應義塾大学名誉教授
各国からの留学生受入れの活動について
鈴木:谷口先生は、専門の研究と教育活動にご多忙の中、長きにわた り留学生の教育にも取り組んでこられたと伺っておりますが、 留学生受け入れの活動に関してもお話を伺えますでしょうか。
谷口:1996年から、文部科学省の「国費外国人留学生の選考に関す る調査研究協力者会議の委員を務めています(現在、委員会の 主査)。当時、文部科学省から、「立命館大学理工学部のBKC (びわこ・くさつキャンパス:滋賀県草津市)の展開など、注 目されている理工学部なので、是非、委員を理工学部から出し てください」ということでした。そこで、理工学部では、最年 長の学部長を推薦したのですが、委員を長く務めてほしいの で、若い教員を推薦してほしいとのことで、学部長は差し戻し となりました。僕は留学生に関してほとんど関心や知識がなか ったのですが、当時の理工学部執行部で学部長相当の若手教員 として、副学部長の僕が理工学部から推薦されることになりま した。こういう経緯で、文部科学省の国費外国人留学生関係の 委員を務めることになりました。 当時、文部科学省では、国費留学生制度の枠組みの1つとし て、国際交流基金の下に東南アジアの連携を強化する目的で、 アジア・ユースフェローシップ・プログラム(AYF)の新しいプ ログラムがスタートするところでした。AYFプログラムという のは、当時、日本の首相のイニシアチブの下、東南アジア10ヶ 国(フィリピン、ベトナム、ラオス、カンボジア、マレーシ ア、タイ、ブルネイ、シンガポール、インドネシア、ミャンマ ー)+バングラディッシュ、11ヶ国から優秀な国費留学生1 8人を選考し、11ヶ月間マレーシアのクアラルンプールで予 備教育後、日本の大学院へ研究留学生として留学させるプログ ラムです。スタートに先立ち、国費外国人留学生選考委員の中 から3人が選抜され、その1人に新人の僕が選ばれました。そ こで、国費外国人留学生選考委員3人と文部・外務省から各1 人の5人編成チームで、各国を訪問しました。
鈴木:国費留学生を選抜するということでしょうか。
谷口:はい。それともう一つの活動は、その国の教育事情の調査で す。当該国における高等教育事情について、教育大臣や著名大 学の学長を含めた教育関係者との懇談です。懇談の中身は、日 本に国費留学生を送る場合に、大学院レベルなのか、学部レベ ルなのか、何人をどのような分野で教育して欲しいのか等を調 査しました。1国1日か2日で、10日間程度の日程で周ってい ました。また、JICAや国際交流基金などの日本の在外機関 を訪問して、当該国の高等教育事情の情報収集にも努めまし た。途中、危険な状況にも遭遇しましたが、今から考えると得 難い経験になっています。
鈴木:それは、想像を絶する経験でしたでしょうね。
谷口:僕はこれまで研究上しばしば海外に出かけることはありました が、出張先はほとんどが先進諸国(留学先:カナダ、国際会 議:米国・欧州)で、当時出張先の途上国といえばポーランド やエストニアぐらいでした。1996年まで、東南アジアには 全く行ったことがなかったので、軍政などの政治体制の違い、 高等教育の整備や経済状況のあまりの貧困さにショックを受け ました。あの衝撃はすごかったですね。これらの国々を訪ねる 毎に、日本が途上国に果たす役割の重要性を少しずつ認識する ようになりました。教育も十分に受けられず、食べるものも十 分ではなくて、貧困の底辺で多くの人々が生活を営んでいる国 がある一方で、石油資源により豊かな生活を営んでいる国もあ り、実体験を通して東南アジアの多様性について初めて深く知 りました。スタートから10年間は、毎年、予備教育の修了式 (マレーシア・クアラルンプール)に出席する機会に、数カ国 で面接選考と高等教育調査活動を行い、すっかり東南アジア通 になりました。その後、このプログラムは資金難のため、マレ ーシアでの予備教育に代わり、関西国際センター(国際交流基 金)で半年間の予備教育に短縮され、5年経過後、AYFプロ グラムは民主党政権下の事業仕分けで廃止となりました。日本 から途上国への優れた高等教育支援が無くなることは、今後の 日本にとって大きな損失で、誠に残念なことです。また、海外 2024/01/05 15:59 TOEFL メールマガジン https://www.etsjapan.jp/toefl/mailmagazine/mm104/reading-01.html 3/8 鈴木佑治先生: 谷口吉弘先生: 調査目的で、今、アラブの春で話題のアフリカにも行きまし た。その目的は、当該政府の国費留学生に対する要望、国費留 学生の選考が公正に行われているか、帰国国費留学生の活動状 況などの調査です。例えば、学生を日本に国費留学生として送 る場合、当該国の事情に関連してどういう分野の教育をしてほ しいのか等を聞き、これらの要望を日本に持ち帰り、次年度の 国費留学生の当該国における人数や受け入れ教育レベルに反映 していました。 委員の仕事をずっとしてきて 感じたのは、途上国留学生の 教育は、自分のための研究と は異なり、国際貢献という別 の意義の重要性を自覚したこ とにあります。特に来日する 留学生にはアジアからの留学 生が多数を占めています。ア ジアの国々に対して、大学人 としてどのような貢献ができるかということです。このような 認識に立って、理工学部長任期最後の年の2000年に、大学 として初めて理工学部に「英語による国際産業工学特別コー ス」を導入しました。このコースは、日本語の習得なしに、英 語で立命館大学大学院理工学研究科に直接入学できる、当時と しては画期的なプログラムで、私立大学では日本で初めての留 学生のための英語コースです。その後、このようなコースは、 早稲田大学と慶応義塾大学に設置されました。日本に留学する 場合、日本語習得は必修です。外国人学生の日本留学にとって 日本語の習得が大きなハードルとなっています。もし、英語の みで授業や研究指導が受けられるコースがあれば、日本語を習 得せずに日本ですぐれた科学技術や日本ビジネスの勉強ができ ます。また、日本でこれらの分野を勉強したい多くの留学生を 受け入れることができます。でも、このコースの実施で一番の 問題だったのは、英語で大学院の講義を担当できる先生が理工 学部(理工学研究科)におられなかったことです。
鈴木:日本人の先生ということでしょうか。
谷口:はい。それで、言い出しっぺだからという理由で、化学専攻の 僕を含め、機械工学科の先生と元日本留学生で土木工学科のイ ギリス出身の先生にも参加をお願いして、3人でサバイバル日 本語+理工系日本語を英語で教えることになったんです。20 00年以来、現在も、3人はこの授業を担当しています。設置 当時は、大学院修士課程1回生配当のみの「科学技術プレゼン テーションI, II」でしたが、その後、留学生の要望を受けて、 2回生に「科学技術プレゼンテーションIII, IV」を増単位し、 修士課程2ヶ年間を通して、日本語教育を受講できる仕組みが 出来上がりました。このプログラムのおかげで、国費留学生数 も着実に増える中、外国人教員の採用も進み、このプログラム に参加していただける教員も増え、現在ではその担当体制は着 実に改善されつつあります。また、開設当初は、授業科目(英 語)担当の専任教員がいなく、僕の先輩の海外(ボストン)在 住の卒業生(会社社長)や国立大学定年退職者の科学技術分野 の英語授業担当経験者を客員教授としてお迎えして、全体の英 語プログラムを完成いたしました。苦労の甲斐あって、今では 留学生の授業は活気に満ちて教えがいがあると担当者には感謝 されています。今ではむしろこれらの授業に積極的に関わって いただいており、大変ありがたいことだと感謝しています。
続く(2-2)で「留学生の理工系分野の日本語教育」と「日本の大学の在り方」
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