アメリカ留学を振り返って-思い出の恩師たちMemorable Teachers(3-3):California State University at Hayward (現 East Bay)
表紙写真1971年頃のCal State Hayward 、建設中だったヘッドクオータのビルWarren Hall(教室、研究室、事務局)が完成した。このビルはHayward断層の真上に建設された為につい最近取り壊された。
「アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers :California State University at Hayward」(3-1)(3-2)に続く(3-3)です。
フィリッピンの国民的作家N. V. M. Gonzalez先生、言語学への変更を促される
英語にこだわる筆者の野望は限りなく、文芸創作(creative writing)にも目が向きはじめました。当時のSan Francisco市にはAllen GinsbergやWilliam Carlos Williamsらの詩人が活躍したCity Lights Bookstoreがあり、San FranciscoとBerkeleyは、詩、小説、映画、演劇などの創作活動のメッカでした。結果、文芸創作(creative writing)が人気を博し、文学批評(literal critique)も魅力的なジャンルですが、そちらも覗いてみたくなりました。
すると、なんと、フィリピン人の著名作家N. V. M. Gonzalez(*18)先生がAsian Literature関連の授業を担当していたのです。(*19)Gonzalez先生は、アジアの言語、文化、文学に強い関心を持ち、アジア文学の素晴らしさを作家の目で訴えていました。ある日、川端康成のSnow Country『雪国』とThousand Cranes『千羽鶴』を読んだ授業後、先生は立ち話をしながら筆者に、”You are a Japanese, aren’t you? Why, then, English literature? You should pay more attention to Japanese literature.”と言われました。川端康成はその直後の1972年にノーベル文学賞を受賞しました。
Snow Country & Thousand Cranesほか、New Writing from the Philippines(1966, L. Casper, Syracuse University Press)やThe Mentor Book of Modern Asian Literature(Mentor Book)などをテキストにアジアの現代作家の作品を集めたテキストを読みましたが、先生自身の傑作The Bamboo Dancersに焦点を当てた授業はまさに圧巻でした。
あたかもその場で書いているかのように情景を再現し、文学批評を超えた創作の世界に誘ってくれました。1915年生まれで、当時は55歳前後、何時もスーツとネクタイ姿で、小柄でとても温厚、中庭の芝生の上で学生達と立ち話をしていたのが印象的です。私には、英文学に絞らず英語という言語に目を向けるようにアドバイスして下さり、後に言語学(英語学)に関心を向かわせるきっかけになりました。文芸創作(creative writing)は言語・コミュニケーションがあって初めて成立することを教えてくれました。
筆者Cal State Hayward外国語学部の日本語担当教員に
もう一人、忘れられない先生がいます。次回でもお話ししますが、筆者は、とあることから、Cal State HaywardでJapaneseを教えることになりました。というよりは、Japanese programを作ってくれ、と依頼されたのです。Cal State Haywardに行って1年くらい経った頃です。日本にいた時に英語の家庭教師をした以外、教えたことはありません。ましてや、日本語を教えるなぞ初めてです。そこで日本で第二外国語として取ったフランス語を取り、ベテラン外国語教師の教え方も同時に学ぼうと思いました。博士課程に進んだ時に、英語以外にもう一つの外国語能力テストを受けるということでもあり、履修することにしました。
日本語教授法のヒントをくれたフランス語の先生
フランス語は女子学生に超人気で、履修者のほとんどが女性でした。筆者は初級フランス語を登録し、フランスから帰国したばかりの若い女性の先生のクラスに配属されました。筆者は学部と大学院でフランス文学の授業も取り、原書で多くの作品を読みましたが、訳読でしたから会話は情けないくらいダメ。LSUのEnglish Orientationでの英語の授業のフランス語版での再現です。先生は、英語で文法構造を説明すると、pattern practiceを何度も繰り返し、先生の質問に答えさせます。使用テキストはLa C l é Du Fran çais(1970,Leo L. Kelly, The MacMillan Company)で、良くできたテキストでした。
クラスメートの殆どは1年生、みるみる内に発音が良くなります。ところが筆者ときては全く進歩無し!しかし、名前を失念しましたが、先生は言えるようになるまで何度も繰り返してくれました。母語の使用を極力減らし、できるだけ対象言語を使って教えるさじ加減を教えてくれました。
そんな筆者ですが、フランス語の文法に関しては他を寄せ付けません。文法などの筆記テストになると満点です。授業が進み、簡単な小説を読む段になると全く問題がありません。恐らく、フランス語の先生たちの間でも筆者は話題になっていたと思うのですが、ある時、先生は、”Mr. Suzuki, you are such a bad student!”とジョークを飛ばしながら、筆者に筆記テストを返したことがあります。いつも筆者の横に座り筆者の文法テストの成績を知っていた女性が言うのには、筆者が授業中に先生の質問にモタモタしていることしか知らないクラスメイトの中には筆者のことを気にかけ、”I feel sorry for that Japanese guy.”と言った人がいたとのこと。懐かしい思い出です。
Cal State Haywardで取った授業の幾つかが次のUniversity of Hawaiiの大学院修士課程の単位として認定される
Cal State Haywardで会った先生方から得た貴重な知識は、本格的に学位取得を目指す段階に、非常に役立ちました。次に進学したUniversity of Hawaiiの大学院修士課程では、修了必要30単位中6単位分をCal State Haywardで取ったいくつかの授業が認められて埋めることができ、最終目標の博士課程(Georgetown Universityでの)への道筋を早めてくれました。単位もそうですが、そのための英語力と学力の基礎を築いてくれました。Cal State Hayward を中心にSan Francisco Bay Areaでの体験は、筆者自身の20代の人格形成期にどれだけ多くの影響を与えたかは筆舌では尽くせません。Cal State Hayward 時代には、これら先生方だけではなく多くの人々から多くのことを学びました。筆者にとっては全員がその意味では先生です。本稿の冒頭では、最初の数ヶ月に出会った人達に触れましたが、その後、更に多くの人達とかけがえのない貴重な体験を共有しました。次回の「アメリカ留学を振り返ってーMemorable Teachers(4ー1)(4-2)(4-3)」で紹介します。
(4-1)に続く
(2019年12月11日記)
(*18)”N.V.M. Gonzalez“
(*19)あるいはComparative Literature (比較対照文学)として設置されていたかもしれません。Creative Writingと称する授業もありましたが、この著名な作家の授業がそれに代わるものと思い履修しました。正解でした。