M.マクルーハンUnderstanding Mediaの「ホット・メディアとコールド・メディア」について(3)
表紙写真Understandi Media (Wikipedia)より
「M.マクルーハンUnderstanding Mediaのホット・メディアとコールド・メディアについて」(1)および(2)に続く(3)です。
Hot cultureのmedia とcold cultureのmediaの違いは?
Hot cultureのmedia とcold cultureのmediaの違いは、前者がthe specialist technologyとしてのmediaであるのに対し、後者はthe nonspecialist technologyのmediaであると言います。当然、それぞれがもたらす影響にも明らかな違いが生じます。
アルファベット導入を皮切りに脈々と続いた西洋社会のthe mechanical timeのmechanical mediaがもたらした影響は、hot mediaのもたらしたものということになります。その特徴は、ニートなタイトパッケージ的(suited for neat tight packages)、均一的(uniform)、反復的(repetitive)などです。それに、the specialist technologyとしてのhot mediaがもたらす影響が加わります。爆発的(explosive)、強烈な(intense)、破壊的(disruptive)などです。
反対に、the nonspecialist technologyとしてのcold mediaは、内発的(implosive)、融合的(whole)などで集約できる影響を及ぼすと述べています。
3000年もの間多くのhot mechanical technologies(media)に慣れ親しんできた西洋社会に、19世紀後半からthe electric ageが訪れ、mechanical technologies(media)に代わりelectric technologies(media)が普及し始めます。Electric technologies(media)はcold mediaで、the nonspecialist technologyであることから、hot cultureの西洋社会は、いわゆる、後進国(backward countries)に比べ、それに順応するには相当手間がかかるであろうと予測します。
かつて西洋社会は、開発したhot mediaを後進国であるcold cultureに持ち込み、持ち込まれた社会に破壊的インパクト(the disruptive impact)を与えました。一例として、かつてのオーストラリアで宣教師がアボリジナル社会に鉄製の斧を導入した際の衝撃を引用しています。(*13)宣教師たちは、数少ない石斧が男達の狩に使用され婦女子は持てなかったのを見て、家事仕事に役立つよう沢山の鉄製の斧を婦女子に渡しました。その威力を知った男達はやがて婦女子に貸してもらうようになると、石の斧が象徴する族長社会崩壊につながっていったとの話しです。
Electric mediaというcool mediaの導入により、今度は西洋社会がそれ以上の衝撃を受けると予測します。長きに亘るthe mechanical timeにthe specialist technologyの影響を受けてきた20世紀の西洋社会(“we”)では、個人主義が確立するにつれて部族(tribal)社会が破壊され(detribalized)、国家が形成されてきた。しかし、1世紀前に始まったthe electric age(*14)のmediaをもって人の身体、中枢神経の延長は最終段階を迎える。Electric mediaにより、考えられないスピードで、集合的(collective)かつ 再部族化(retribalized)されたGlobal Villageが形成されつつある。脱部族化(detribalized)された西洋社会は順応に苦戦するであろう、と説きます。
非常に挑発的な見方であり、異論、反論が多いのは確かですが、21世紀のmediaにまつわる問題提起としてチャレンジングな視点を多く提供しているのも確かです。McLuhan自身、本書の目的が、問題を指摘し対処法を考える機会を提供することであると述べており、その目的は十分果たしていると言えるでしょう。McLuhanの議論を良し悪しで判断しないことです。Global Villageについても、the electric technologyがthe nonspecialist technologyであるがゆえに起こりうる結果として述べており、それが良いとも悪いとも言いません。
筆者自身何度も読みチャレンジ精神を掻き立てられてきました。
筆者自身の感想
以下、今回扱った部分に関して巡らした感想の一部です。筆者は1973年にFrancis P. Dinneen教授のGeneral Linguisticsというコースを履修し、An Introduction to General Linguistics(1967, Francis P. Dinneen, Holt, Rinehart and Winston, Inc)に沿って言語学の手ほどきを受けました。最初の時間で習ったことは、言語学は言語の科学的探求(a scientific study of language)であること。科学的探求とは、実験的で(empirical)、正確で(exact)、客観的(objective)であること。
それを前提に、言語の特徴は、音(sound)、線状的(linear)、体型的(systematic)、意味あるもの(meaningful)、抽象的(abstract)、恣意的(arbitrary)(*15)であると学びました。McLuhanの言うhot media的な特徴を連想させるキーワードが幾つか並びます。後にMcLuhanが影響を受けたポストモダン的な言語観も出現しますが、言語学の主流は依然こうした考え方がオーソドックスです。
例えば、言語学の対象が言語の音であるという前提についてです。言語における書き言葉(the written language)はほんの数千年前に出現したこと、また、書き言葉を持つ言語は極一部であること、などから書き言葉が軽視され、話し言葉の分析が主流になったという経緯があります。(*16)しかし、上述通り、McLuhanは書き言葉も重要なmediaとして取り上げ、アルファベットが西洋社会を形成する上で上述したような根本的影響を与えてきたと述べています。言語学ももう少し前向きに書き言葉に立ち向かうべきではないでしょうか。
表音文字はhot media、象形文字や表意文字はcold media
例えば、McLuhanは、アルファベットのような表音文字はhot mediaとして、象形文字(hierographic written characters)や表意文字(ideographic written characters)はcool mediaとして、それぞれ違った影響を与えると言っています。すなわち、ある言語が文字を持つか、あるいは文字を持たない音だけの言語なのか、文字を持つとしたら表音文字か表意文字なのか、それぞれのケースがもたらす影響を考える必要があると思います。(*17)
関連して、表意文字がそもそもcool mediaなのか、また、日本語のように、カナのような表音文字と表意文字の漢字を併用する言語はhot なのかcoolなのか、その他数々の疑問が湧いてきます。関心ある読者は、[8]The Spoken Word: Flower of Evil?と[9]The Written Word: an Eye for an Earの2篇を読んでみてください。
大学のlectureはhot medium、seminarはcold medium
教育に関しては、lectureはparticipationが少ないhot mediumであり、seminarはparticipationが多いcold mediumであること、同じ理由で、書物はhot medium、対話(dialogue)はcold mediumであること、などの言及に関心が向きます。学習者の参加を促す教育を求めるのであれば、対話のあるseminar形式の授業ということになります。筆者は、講義科目と英語授業を活性化するために、この点を参考にプロジェクト発信型授業を構築し実践しました。21世紀になり、IT化が進み、脱paper、脱printing が加速してmediaは大きく変化しています。教育界全体が真剣に考えなければならないことは確かでしょう。
(2019年2月22日記)
(*13)The Rich and the Poor : a Study of the Economics of Rising Expectations(1959, Roberts Theobald)
(*14)本書“Introduction”に“Today, after more than a century of electric technology,,,”とあり、McLuhanは、the electric ageは1860年代に始まったと考えているようです。
(*15)Saussureの提唱した記号は、上述のように形態と内容が表裏一体のコインのように結びついたもので、その結びつきには何ら合理的な理由がなく恣意的だと言います。例えば、“dog”という語の音が「犬」を指すようになったのは偶然で恣意的慣習だと言います。音標文字を持つ言語の話者と表意文字を持つ言語の話者では、前者の方がよりよく言語の恣意性を理解できるかもしれません。
(*16)歴史言語学(historical linguistics)では、過去の書き言葉しかデータが無いので書き言葉を扱いましたが、Saussure以降の言語学は、通時的(diachronic)に対し共時的(synchronic)な研究が注視され言語の歴史より現在の話し言葉の分析が中心になりました。
(*17)脳神経学では、言語機能の障害を研究する言語障害(aphasia)の分野で言語の音声機能を、また、失読症(dyslexia)や書字障害(dysgraphia)などでは、書き言葉に関連する障害を研究しています。これらの障害から書き言葉の重要性が察せられます。
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