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アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers (2ー4): University of California Santa Barbara 9/1968-3/1969

表紙写真UC Santa Barbara (UCSB Ben School of Businessより)

「アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers : University of California Santa Barbara 9/1968-3/1969」(2-1)(2-2)(2-3)に続き(2-4)です。


Winter Quarter(1/2019-3/2019)始まる、一見シニカルで小説家タイプの先生の授業

Winter Quarterの授業は、19世紀The Victorian Age のCharles Dickens(1812-1870)の主要作品を中心に、William Makepeace Thackeray(1811-1863)やGeorge Eliot(1819-1880)などの作品をカバーしたと記憶しています。先生は40歳前後の、ラフな格好をした男性で、シニカルでシャイな笑みを浮かべながらボソボソと呟くように話す小説家タイプの先生でした。2月のある日サンタバーバラ地方で大洪水が発生し洪水に見舞われた時のこと、水に埋まった自宅のアパートを途方に暮れながら眺める先生の姿が地元テレビ局のニュースで放映されました。その数日後の授業中のことです。また雨が激しく降り始めると、discussionもそぞろに窓の外を恨めしそうに眺める先生を見て、ある男子学生がからかうように言いました。”Ha,ha! Mr.--,where did you move this time?”先生はシニカルな微笑で誤魔化すかのようにdiscussionへ戻りました。あの表情が未だに忘れられません。DickensのGreat Expectationsの主人公Pipの義兄にシャイで人柄が良いJoeがいますが、筆者にこのJoeを連想させる先生でした。(*19)

筆者はこの授業のpaperでDickensのA Tale of Two Citiesを取り上げ、(*20)同じくB+を貰い、ますます英文学が好きになりました。UCSBで履修した2つの英文学のコースは、アメリカの大学の英米文学科のレベルの高さを認識させ、挑戦しようという意欲を高めてくれる授業でした。残念ながら二人の先生の名前を覚えていません。

UCSBは環境問題に敏感な実験校、卒業生は各地の有名大学院にTomはStanfordか東部Harvard、Yaleからの奨学金待ち

UCSBは文学だけではなく環境問題への意識を高めてくれました。筆者が滞在中、沖合の海底油田に事故が起き、UCSBのビーチは油で真っ黒になり、海鳥はタールにまみれて死ぬ寸前の姿であちこちに横たわっていました。それを見たUCSBの学生たちはそれらの海鳥をなんとか蘇生させようとタールを洗い落とそうと懸命になっていました。地球は人間だけのものではないことを訴えた出来事です。2011年東日本大震災で東京電力福島原発爆発事故が発生し、放射能汚染地域に動物たちが取り残されてしまいましたが、2つは重なります。


UCSB真下に広がるGoletaの浜辺(7 Gründe Urlaub an der Ostküste von Australien zu machenより)

The 1969 Santa Barbara oil spills that changed gas and oil exploration forever

前回でも述べた通り、渡米して半年足らず、アメリカの大学の正規の授業を受けたことがない筆者にとって、UCSBはその後10年続くことになるアメリカ留学生活への良きgateway(玄関口)でした。この6ヶ月間に会った先生、友人、そしてアルバイトの仲間全ての人が、アメリカの大学コミュニティーへの良きオリエンテーションをしてくれました。筆者にとっては全員がmemorable teachersなのです。

UCSBの学生の多くは、卒業後、アメリカ各地のトップ大学院に進学し、とても優秀で一緒に勉強し、生活した学生からも多くのことを学びました。その一人が冒頭に挙げたTomです。Tomはアメリカの大学院のEnglish programsについて色々教えてくれました。確か、creative writingを学び、short storiesのwriterになりたいと言っていたように記憶しています。Sherwood Anderson(*21)のWinesburg, Ohioについて話しが盛り上がりました。2月のある週末、Los Angelesのhost familyの家に行くというので同行しました。上述した「ソーエンソン」の家です。場所は忘れましたが、中年のご婦人が出てきてTomを見るなり熱く抱擁しました。決して裕福ではない家の中には数人のアジア系の子供達が居て、Tomと筆者を大歓迎してくれました。皆大事に育てられている様子が見て取れ、アメリカ人の懐の深さを教えらました。一緒に囲んだ食卓での団欒からTomが文学に関心を持ったのはご婦人の影響があったのではと感じました。


Sherwood Anderson Short Stories

UCの授業料が払えずCalifornia State College (後University)at Haywardに行く決断

3月末にWinter Quarterが終了した時点で、University of California systemの1quarter$500のout-of-state tuitionを賄えないことが決定的になりましたが、(*22)California State College systemの大学院であればその10分の1程度になることを知り、Spring Quarterに向けてSan Francisco湾の東側にあるCalifornia State College at Hayward(現California State University, East Bay)へと旅立ちました。(*23)映画”The Graduate”の最後の教会のシーンと二人でバスに乗り込んで逃げるシーンのロケ地となった街並みを見ながら6ヶ月世話になったGoletaに別れを告げました。筆者10年間の留学中UCSB時代のみ写真は一枚もありません。写真を撮る余裕がなかったのです。心象を頼りに記憶を手繰り寄せながら本稿を書きましたが、そのことが返って懐かしさを醸造してくれたような気もします。続きは(その3)にて。(2019年10月23日記)

(*19) “Great Expectation Novel by Charles Dickens”Encyclopedia Britannicaを参照してください。ネット上に作品のPDF版もありますから読んでみましょう。
(*20)A Tale of Two Cities Novel by Charles Dickens PDF Planet eBoook
(*21)”Sherwood Anderson| American Author|Britanica.com“Andersonの作品は、翻訳されていますが、原書で読んでみましょう。
(*22)年間では$1,500になりました。当時1$は360円、日本の平均年収は360,000円($1,000)前後で、とても賄える額ではありませんでした。
(*23)California State College(現University)にgraduate studentとして受け入れてもらいました。California State Collegeはどの専攻でも修士課程しかなく、また、同専攻同学位を取れないという規定もあり、学位を取らないという意味でのnon-objective graduate studentとして受け入れてもらいました。授業料は年間$150、これなら働きながら何とか払えます。昔も今も学費との闘いですね。また(3)以降でお話しします。


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