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アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers (2ー3): University of California Santa Barbara---エッセイFor Lifelong English

表紙写真 UC Santa Barbara 

「アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers : University of California Santa Barbara---エッセイFor Lifelong English」(2-1)(2-2)の続き(2ー3)です。


充実した英文学授業とにかく読ませ、書かせ、ディスカッション、quizes、papers、exams


英文学の授業はとても充実していました。Fall QuarterとWinter Quarterに履修した2つの授業で、17世紀(The Seventeenth Century)後半、18世紀(The Restoration and the Eighteenth Century)、19世紀(The Victorian Age)における主要小説(novels)を読みました。授業は月、水、金の午前中で、毎授業1作品を扱い、冒頭でquizがあり、その後はdiscussion形式で進められます。

学生は15名程、全員が手を上げて活発な意見を述べ、ただただ圧倒されるばかりでした。早口で間髪入れず飛び交う議論についていけません。それでも、クラスメートの中に高校のEnglish(英文学)を教える免状(teaching credential)を取りたいという30代の女性がおり、授業後にカフェテリアで頻繁に話すようになりました。


Evans 英文学史 王政復古期18世紀英文学

彼女はこの授業を含めて4つ履修しており、週に10作品以上を読まなければならないとのこと。(*14)単純に計算すると1時間80ページ近く読まなければついていけません。1冊を1年かけて、しかも訳読で終わる日本の英文学科の授業は一体何だったのでしょうか。ここでは、毎回quizをされてdiscussionし、2ヶ月半のQuarterの間に、mid-term examinationとfinal examination、プラス、mid-term paperとfinal paperを書いて出さなければならないのです。そんな授業を4つも取っているなどこの時点の筆者には想像さえできませんでした。(*15)

Quarter制度はとても忙しく、始まって3、4週間でmid-term paperを提出しなければなりません。筆者はSwiftのGulliver’s Travelsのsatiresを取り上げました。この作品は全4篇から成る長編で、読むのに1週間、書くのに1週間、合計2週間もかけてやっと書き上げました。ここで情けない問題に直面しました。アメリカの大学では手書き(hand-written)のpaperを原則受け取りません。当時の筆者はタイプが打てず、高価なタイプライターも無く、先生に嘆願しhand-writtenで許してもらいました。先生の名前を忘れてしまいましたが、30代後半のassociate professor(助教授)で、クラスdiscussionについていけない筆者を怒ることもなく、ゆっくり優しく質問し発言を促してくれたことを覚えています。


SwiftのGulliver’s Travel 

血の滲むような思いでpaperを書き終えて提出すると次はmid-term examに備えて猛勉強です。もう一度読んだ全作品に目を通しました。毎晩5時間、6時間勉強してやっと追いつくかどうかの膨大な量です。ある日、授業に5分ほど遅れてしまいました。先生とクラスメートが全員筆者の顔を見ています。すると先生が筆者にpaperを渡しました。見るとB+と付いていました。”Mr.Suzuki,this is an excellent paper.”とのコメント付きです。兎にも角にもアメリカ人と競争してB以上取れたことにホッとしました。授業が終わり何時ものようにカフェテリアに行くと、例のクラスメートが筆者を待っていました。開口一番、”You know what?Before you came in the classroom,Mr.~said that a foreign student, which is you,wrote the best paper.”と言いました。これで筆者が遅れて入っていった時にクラス全員が筆者の顔を見たわけが分かりました。”Oh,yeah.”筆者はクールを装い返事をしましたが、内心は飛び上がる程嬉しかったのを覚えています。

喜んでばかりはいられません。その後のmid-term examinationが心配です。指定された作品を読んだのち、時間をかけて書き上げることのできるpaperと違い、試験は2問ほどの質問に対してその場でエッセイを書かなければなりません。当時のアメリカの大学、大学院ではblue bookという試験解答用の小冊子を使っていました。English majorに求められるessay writingですから、当然、Englishの質も問われます。「火事場の馬鹿力」とはよく言ったものです。筆者もblue bookにびっしりエッセイを書いて提出しました。翌週返却された成績は確かB+でした。何年先になるかはしれないが、このまま努力を続ければPh.D.が取れるだろうという淡い感触を得て長期滞在することを決めたのでした。

小柄でソフト・スポークンでイギリス紳士風若手の先生

担当の先生の名前を失念してしまいましたが、アメリカ人にしては小柄で、ジャケットにネクタイを締め、やや赤毛で端正な口髭とアゴ髭を蓄え、身なりのきちんとした紳士でした。ソフト・スポークンで穏やかな性格で、当時は珍しかった日本からの留学生の筆者にとても親切に接してくれました。綺麗な英語でゆっくり分かり易く、学生の意見を誘発してくれ、こんな先生に早くから手ほどきを受けていたら、もっと英文学が好きになっていただろうと思いました。しかし、授業は厳しく、時間通りに始まり、時間通りに終わり、シラバスにある全作品をカバーし、一度でも授業を欠席したら大変なことになります。こうして12月中旬にfinal paperを書いて提出し、その後、final examinationを受けてWinter Quarterは終わりました。筆者の両方の成績はB+でしたが、UCSBのfinal gradeにはB+という表記はないのでB。とは言えクラスの平均成績はCと聞いたので、初回としてはまあまあでした。

Fall Quarter終了、Winter BreakをFresno近郊の日系3世の友人の実家の葡萄園で

12月下旬から1月初旬まではWinter Breakで、学生は家族とChristmasを祝うために親元に帰り、Goletaの街からは人影が消えます。筆者は、この間に親しくなった日系三世の学部4年生の誘いで、Fresno市近郊にある彼の両親が所有するぶどう園に行ってChristmasを過ごしました。40acres(約49,000坪)の農園はブドウ園としては小規模ということでしたが、そこで帰米二世で日本語と英語を話すご両親と、英語しか話せない妹さんと彼の4人で暮らしていました。Fresno市は内陸部の中堅都市、農業、牧畜が盛んな盆地で夏はとても暑いので有名です。しかし、冬は朝晩零下まで気温が下がり、乾いた大地に散らばる家々の屋根の軒先に光るChristmasのライトが晴れて澄み切った夜空を飾っていました。

UCSBには彼以外に多くの日系三世の学生がおり教員や医者を目指していました。彼も医者を目指しており、拙稿アメリカの医学部(medical school)に入学するにはでも紹介したpre-medコースを取っていました。(*16)中古のMGAのスポーツカーを持っており、滞在中の2日間を利用し、San FranciscoのUniversity of California San Francisco Medical Center(*17)の下見に同行しました。San Franciscoに着くと、UC Berkeleyの学生で同じくpre-medを取っている彼の三世の友人と落ち合い、有名なロックハウスFilmore Westで生ロックを聴き、Bay Bridge経由で対岸のBerkeleyに行ってパブに入り、即興で作った詩を吟じ合う様子を見て浮かれ、非常に濃い2日間を過ごしました。(*18)この体験がSan Francisco Bay Areaへの関心を高めてくれました。

年明けの1969年1月の2週目にWinter Quarterが始まりました。3月中旬過ぎまでの2ヶ月半です。相変わらず、指定されたEFLの授業からは解放されず、前学期の続きの英文学の授業に全精力を傾けました。12月末あたりからCalifornia州は雨季に入ります。Albert Hammondの”It never rains in southern California“という曲に、”Seems it never rains in Southern California……but it pours,man,it pours”というサビがあります。隠喩的なくだりですが、南カリフォルニアでは文字通りに雨が降れば篠突く土砂降りなのです。驚きました。それでも人々は傘を持たず、ビニールのゴミ袋に穴を開けてすっぽり被ったり、アルミのトラッシュ・カンの蓋、段ボール、ベニヤ板などを頭の上に翳したりして裸足でペタペタ歩道を歩き廻っていました。滑稽でもあり奇妙でもあるCaliforniaの自由奔放な雰囲気がすっかり気に入ってしまいました。

2-4)に続く


(*14)巷間、英語は聞くだけで話せるなどという宣伝文句が飛び交っていますが、簡単な会話に限って言えばそうかもしれませんが、高度のdiscussionになるとそうはいきません。母語でも日常会話はできても高度の議論・討論ができるとは限りません。
(*15)古典から現代までの全ジャンルの主要作品の数は膨大で学部卒業までに読まなければならず、各授業膨大量のreadingが要求されました。渡米直後の筆者はお手上げでしたが、その後2、3年もすると慣れました。
(*16)第95回「アメリカの医学部(medical school)に入学するには」はこの時の体験もベースになっています。彼とその友達からmedical schoolsに入るのがいかに難しいかがよく分かりました。
(*17) University of California San Francisco Medical Center山中伸弥博士もここで研究されていました。
(*18)これらは映画”The Graduate”の馴染みのシーンです。

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