子どもの成長に大人が出来ること
私には可愛い甥っ子がいる。
小5の甥っ子は、私と同じでお調子者の早とちり。
でも、明らかに地頭の良さがあるのは幼少期から感じていたことだった。
甥っ子は小学生になる前後で公文に通い出し、毎日学校の授業以外に公文の課題をやっていた。
で、昨年「中学受験する」と決め、しばらく通っていた公文を辞め進学塾に通い出した。
進学塾には定期的に模擬テストがあり、グループ校およそ100人の同学年の中での順位が出る。
そこでテストを受け始めると、公文をやっていた頃すごくできていた算数がイマイチで、国語がすこぶる良いという。
計算は苦手ではないはずなので話を聞くと、どうも文章問題で躓いているとのこと。
つまり、お調子者の早とちりが出て、勝手に答えを読みながら決めつけてしまい、結果答えるべきポイントを外してしまっているようだと推察した。
コロナ禍会いにいけない中、先日甥っ子Kとの電話で彼にこう話した。
以下会話(概略)
私「あのさあ、Kは小2小3の夏休み、私と一緒に公文の宿題やってたじゃん?」
甥「うん」
私「その時さぁ、Kは算数得意なんだって思ったんだよね」
甥「なんで?」
私「私がKくらいの頃に、あんなに割り算とかできなかったもん!でもさ、今算数、イマイチじゃん?なんでかわかる?」
甥「わかんない」
私「本当は得意なのに、苦手だって思ってるからだと思う」
甥「そうかなあ」
私「そうだよ。あとね、私も似てるところあるから分かるけど、文章問題さ、読んでる途中で『きっと答えはこうだ』って予想しちゃうでしょ」
甥「うん」
私「それが、早とちりなんだよ」
甥「うーん、確かに」
私「本当はさぁ、国語がそれだけ出来てるんだから、文章を落ち着いてしっかり読めば、解けるはずなんだよ。なのに、早とちりして『わかったああ!!!』って決めつけちゃうから引っ掛け問題とか、思う壺で引っかかって、点数取れなくなるパターン」
甥「あーーーある。あるわー。わかる。
俺そういうとこあるよね」←意外と客観視出来てる。笑
私「でしょ??落ち着いて、決めつけずに読めば、計算自体のミスはしないわけだから、絶対出来るんだよ。落ち着いて文章読んでみな」
甥「そうだねー」
私「あと、Kは算数出来るから!私が保証するわ」
甥「うん!ありがとう!頑張ってみる!」
そう言って甥っ子は元気よく電話を切った。
しばらくして、1ヶ月後の模擬テスト。
なんと、嘘みたいに算数が持ち直したという。
甥「言われた通り、落ち着いてやってみたら、出来たよ!」
私「うんうん、よかったね!でも調子乗るとまたやらかすから、その時の落ち着いて出来た時を忘れないでね」
甥「わかった!またがんばるよー!」
すっかり自信を持ち直した甥っ子。
今日もらった電話では、相当良かったみたいで1桁順位まで取れたそう。
甥「もうね、普通に落ち着いて問題解けるようになった!普段の宿題で訓練したしね!」
と彼は、ドヤ顔が見えるくらいの上機嫌で、声を上げて嬉しそうに言った。
彼は、3年前母を亡くしている。
つまり私の義姉は、彼が小2の時に亡くなったのだ。
急性のくも膜下血腫で、全く予期せぬ突然のお別れだった。
途中、情緒が心配な時期もあった。けど、今はそれすら自覚的に動けているように見える。
自分の境遇を決して悲観せず、勉強も運動も頑張り、明るく毎日を笑顔で過ごしている。
コロナ禍で一年半、殆ど会えず、仕事で行った地元のホテルのロビーでほんの20分立ち話をしただけ。
あとは電話での会話のみ。
でもどんな時も、私は彼の味方でいたいと思うし、今までもそうしてきた。
それが何よりも義姉がして欲しいことじゃないかと思っているから。
そして信じて伝えた言葉を彼自身が信じることで、持っている力を発揮できたという知らせは、とてもとても嬉しかった。
子どもはすごい。
子どもは強い。
子どもは大人。
だから私は彼を子ども扱いせず、一緒に縄跳びやドッヂボールをする時も、ずっとずっと本気で対戦する。そして大人気なく勝つ(笑)。
そうして「バカな大人楽しそうだな」って思ってもらえたらいいし、「一人前扱いしてくれる大人もいるんだな」って思ってくれたらいい。
キミを信じてるよ。
キミはすごいんだよ。
そう本気で思う大人がいて、それをキミ自身が信じてくれたら、もっとすごいことが出来るようになるよ!
願いを込めて、これからもそう伝え続けようと思う。
とはいえ相手は小5男児。。
次会う時、体力勝負については勝てる自信がそろそろ無くなってきた四十路半ば…(笑)
甥っ子を思いながら、エスカレーターではなく階段を使って、ちょっとでも運動をしようと足掻いております。
はー、早く会えるようになりたいな。
もう暫く、辛抱しよう。