ミスを注意をする時に、いつも『改善策は?』と聞いているのが思考停止だったと気付いた話。
先日、僕のチームのメンバーが同じミスを繰り返しました。
僕はそのチームのマネージャーなので、指導として『次、同じミスをしない為の方法を考えてきてね』と改善策を求めたわけなんですが、一連のやり取りをしてる中で、タイトルに書いた通りの気付きがあったので残しておこうと思います。
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部下がミスをしたら何を求めるべきか
一般的に、ミスをした部下と上司のやりとりで
部下『すみません、ミスをしました。』
上司 『おいおい、気をつけてくれよ。』
部下『はい、次はちゃんと意識します。』
という流れは多いと思います。
僕は、自分が指導する側になる前から「このやりとりって非生産的だなー」とずっと感じてました。
まず前提として、僕自身のスタンスはミスについて指導する際に「謝罪」ってのは殆どの場合必要としていないです。
ミスしたのであれば、そうなった原因があるはずで、大抵の場合は「やり方」や「仕組み」に問題があるケースが多いからです。
このスタンスから、ミスをした相手には基本的に「どう改善するの?」と改善策を求める機会が多かったと思います。
それ自体は間違った考え方ではないと思っていて、少なくとも注意だけで終わるよりは建設的なんだと思っています。
ただ、この「改善策」というのが曲者で、本人から提示してもらったからといって、必ずしも解決に繋がっているわけじゃない事に気付いたんです。
で、何が原因なんだろうなーとずっと考えてたんですが、最近ようやく分かったのが、指導には「改善策を求めるコトが適切」な場合と「繰り返し注意することで、無意識レベルの定着を促すコトが適切」な場合があるんじゃないかということです。
改善策だけでは解決しない
前者は上述の通り、「何故そうなったのか」を聞いて「次どうすれば改善出来るのか」を考えればいいです。
例を挙げるなら、遅刻をした場合とかが正にそれですね。
改善のアクションとしても、アラームの数を増やすとか、朝になったら勝手に電気がつくライトに変えるとかそういうことでいいわけです。
これは原因や改善策に具体性が伴うので、考える方も求める方も思考しやすいわけです。
問題は後者の方。
こちらは例えば、言葉遣いの間違いや、資料作成における注意点などが近いです。
言うなれば、その人の「習慣」や「無意識の行動」となっている部分ですね。
困ったことに、この「習慣」のミスに対しては、『どうすれば改善される?』と求めても中々答えが出ない事が多いんですよ。
それでもがんばって考えた結果、
「付箋に書いて貼っておきます」
「資料を作る前に見直します」
という答えが出てくるとは思います。
しかし、往々にして、その対策で改善されるかと言うと実はそうでもない事が多いです。
ポイントは「改善アクションが必要とされるイベントの発生頻度」なんだと思います。
イベントが毎日のように発生するものであれば上記の対策も有効かもしれないですが、次の発生が1週間後、1ヶ月後となってくると話しは違ってきます。
以前ミスした事象に対して、1ヶ月前に立てた改善策が役立つのかというと、おそらく”その時”には覚えてないんじゃないでしょうか。
つまりこの場合、改善策を立てても結局「いつ必要とされるか分からない改善策をとりあえず立てておく」となりますし、結果、同様のミスが起こった時に「何故またミスをしたのか」は分かっても「どうすれば改善されるのか」が分からなくなってしまうんですよね。
この辺の事をまとめると、発生頻度が低く「習慣化された行動」でミスが起きている場合、具体的な改善策を立てて即座に直すのは難しく、その都度注意するしかない。
と言えるんじゃないでしょうか。
伝える側の認識
『なんだ、じゃあ結局「気をつけてね」が正しいんじゃないか』と思うならちょっと待って欲しいです。
そうなんだけど、そうじゃないんです。
何が違うかというと、指導する側のスタンスに改善が必要なんだと思ったわけです。
ミスを注意した時に、それで改善されることが前提で伝えていると、同様のミスをした時に『前も言ったよね』『何で直さないの?』みたいなコトを言いかねないわけです。
それじゃいかんのです。
ミスを注意する立場にある人は、ミスの内容や今後発生するであろう頻度を考えた上で、「ミスの度に注意するから、これは時間をかけて直そうね」というような対策や心構えが必要な場合もあるんじゃないか、って話しです。
ようやく、結論。
ミスを注意をする時に、いつも『改善策は?』と聞いているのが思考停止だった事に気づいた結果、ミスに対して相手に改善を求める場合、「無意識」に「習慣化」されるまで繰り返し注意するのが必要なケースもあるので、指導の適切な使い分けが必要だということが分かった。
という話しでした。