研究者が所属する大学に「貢献」するとは?ー藤本隆宏(2020). 「発信せんとや生まれけむ―ジャーナル点数主義と日本の経営学―」.『組織科学』, 53(4), 18-28.


大学に貢献するということは何なのだろうか,ふと考えたのでメモをしておきたい。
大学に貢献すると聞くと,すぐに思い浮かぶのは,自身の研究の成果を一流の雑誌や海外ジャーナルに投稿して掲載されることかもしれない。

しかし,

藤本隆宏.(2020). 「発信せんとや生まれけむ―ジャーナル点数主義と日本の経営学―」.『組織科学』, 53(4), 18-28.

では,次のように述べている。

人として生まれ結果として学者になった者の本分は,結局のところ「良いメッセージの発信」だろうと考えている。学者として納得がいき,世の中の役に立つかもしれない一塊の良いメッセージを作るために,勉強し,本や論文を読み,筆者の場合は工場などに出かけ,現場で話を聞く。そしてその塊を,聞きたいと言う人,聞かせたい人に発信する。大学での教育も,学術研究も,アウトリーチも,産学連携も,地域貢献も,それ以前の勉強も,すべて上位概念たる「良い発信」の一部分に過ぎない。(p.19)

藤本(2020)

いずれにせよ,努力と工夫の結果,米国の一流 ジヤーナルに論文が載れば,この「アタック隊登頂」は大いに称賛されるべきであり,その快挙は,いわば大幅な加点主義によって,登頂者の採用や昇進に反映されるべきである。そうした中で,日本の若手や中堅世代から,世界で通用するスーパースターが次々と出現することを筆者としても期待している。しかしそれは,「海外ジャーナルに書かねば出世できない」というような画一的な減点主義であ つてはならないだろう。繰り返すが,日本の経営学に必要なのは,「良い発信」を共通項とする健全な多様性である。未来の日本の経営学者が全員 「アタック隊」である必要はない。そうやって日本の経営学者の集団は,全体とし て多様性を維持し,健全な形で「良いメッセージを発信」する努力を今後も続けていけばよいと筆者は思う。そして,ローカルもグローバルも許容する多様な発信の流れの中から,日本発の目覚ましい海外一流ジャーナル論文が良いペースで出現する一それが,日本経営学の望ましい未来ではなかろうか。(p.27)

藤本(2020)

評価軸の多元化

 私なりに藤本(2020)を解釈すると,海外ジャーナルに掲載されたことはとても素晴らしいことだし,それは「加点されること」だけれども,海外ジャーナルに掲載されていなくとも,もしその人が別の側面で貢献(論文でいう「良い発信をすること」)をしているのであれば,それは減点されるべきではないということ,を言いたいのだろう。
 大学に貢献する方法は,経営学では,企業とのコラボレーションや政策立案に関わるでとかジャーナル以外の別の方法で携わることもある。例えば経営学では書籍を出すことによって社会的なインパクトを与えたり,書籍を手に取ったある企業がサーベイをすることで,そのデータの監修を著者に依頼し,企業にフィードバックをしつつ,論文を書くといったこともあり得る。特に,実証系の社会科学の研究者にとってリサーチサイトの確保は重要な問題であり,リサーチサイトの確保と書籍や実務系雑誌や講演会への登壇は,研究と不可分の関係にある。

貢献の時間軸

 教育も大学教員の重要な貢献の1つだろう。例えば私の専門であるヒューマンリソースマネジメント(HRM)をゼミで集中的に教育していくことでHRに関心を持つ人が1人でも増えて,HRMという側面から日本を良くしていこうとかあるいはそこまでなくても,自分の会社の働き方を変えていこうという意識が芽生えるといった長期的な種まきも大事な仕事であろう。

 ただ,HRMの研究でも明らかなように,元々評価の意味は,従業員を水路付けすることにある。つまり,特定の評価軸を重視することは,人を特定の評価軸(行動)に誘導することになり,その他の「貢献」活動を軽視することになりかねない。残念なことに企業だけでなく,大学組織においても同様のことが起きているように感じる。

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