口紅の男の子
2ヶ月ほど前、メキシコ人の同僚と一緒に、外出先でタクシーを待っていた時のこと。
3人の若い男女が、私たちの前を通り過ぎた。同じマークの入った黒いジャケットを3人とも身につけていた。仕事仲間か、なにかのチームか宗教団体か?と私は思った。
彼らが歩き去った後に、同僚のTが言った。
「今のやつ、口紅ぬってたぞ」
Tは、ばかにしたような笑いを浮かべていた。1人の男の子が、女みたいに化粧をしていたと言っているのだ。
私は、3人のうち1人の唇がパキッとしたピンク色だったのは覚えていたが、Tに言われるまで特に何も思わなかった。彼らの服装の共通点の方に気を取られていた。
Tの発言は気持ちいいものではないな、と私は思った。
男が口紅をつけてもいいじゃない。ファッションとしてであれ、セクシャリティによるものであれ。それに、そもそも男性だったのかわからない。外見が、Tにはそう見えただけだ。男性か女性かを真っ先に考えるのをやめようよ。
けれど、実際に私が彼に返したのは、「そう?」といった程度の相槌だけだった。口紅のことに気づいていなかったので不意を突かれたせいであり、また、Tに同調する気は一切ないが自分の違和感を伝える気にならなかったためでもあった。
Tの言葉から、私にわかったことは、彼はマチョ macho 、つまり「男らしい男」なのだな、ということだった。男はマチョであるべきだと考え、自身もマチョたるべく行動している。
でも、もし彼に私の感じ方を話していたらどうなっただろう。
うまく伝わらないだろうか。「こいつもおかしなやつだ」という目で見られるだろうか。
それでも話してみたらよかっただろうか。
メキシコを理解するキーワードの一つに、マチズモが挙がることがある。
Tに限らず、別の同僚の言動からも、それを感じたことがある。
それは「ちょっと優しいマチョ」だった。というのは、その同僚に、私の仕事に対する考えや将来展望を話したところ、彼は「自分の目標を持って、実現のために戦う女性は素晴らしいと思うよ」と言ったのだ。素直にうれしかったのだが、「あなたに認めてもらう必要はないけど」とも思った。考えすぎかもしれないが。
このマチズモの様相を私はすべて知っているわけではないけれど、たとえば、男性の浮気がある程度容認されていることとか、男の相手を侮辱するときに同性愛者を意味する蔑称を使うとか、建前上は夫(父)が家族の面倒をみるとか、女性には重いものを持たせたりドアを開けさせたりしないとか、だろうか。これから、他にも遭遇することになるのかもしれない。
さて、今、口紅をめぐるTとのやりとりを思い返すと、彼の言葉の文脈を私が瞬時に理解したということに気づく。
通行人の唇がピンクで、それは変だとTは考えていた。私はその状況を理解するため、「男なのに」という項目を追加した。
マチズモ暗号解読コードが、私の中にあったということだ。もしこれまで「男らしさ」や「女らしさ」と無縁だったなら、獲得することのないコードが。それを改めて自覚する。