好きなものを好きと言う。
先日noteでこんなことを呟いていた。
今でも根っこの部分にあるのだけれど、私はとても優柔不断。決めるのが苦手。よく言えば慎重だし、悪くいうと行動力に欠ける部分がある。
口癖は「なんでもいい」「どっちでもいい」
その対象に興味がないか、知らないため、すぐに決めることができない。誰かの好きに合わせる。
そうやってなんでも人に決めてもらおうと思っていた私が、「こうしてみたい」を行動に移せたのは、中学生の頃に友達と行った映画。
今の映画館の全席指定、入れ替え制になる前の話で、席指定がないため、前の上映が終わるのを分厚いドアの前で待っていた。
決められないわたしが「これを観たい」と決めて観に行ったこと。もう映画の内容があまり思い出せないのだけれも、「自分で決めた」ということが、特別な出来事だった。
そこから15年ほど経った時、私はまた決められない状態にあった。正確には離婚するまでの間に「私には決める権利なんてない」という感覚が出来てしまっていた。
その後、離婚をすることを決めたものの、どこを目指しているか分からないまま。
子育て、慣れない仕事、日々を過ごす中で「映画を観たい」とふと言葉に出して涙が流れた時に、「映画を観ることは、私が好きなことなんだな」と気づいたことを覚えている。
そこから過去にいろんなことを否定されていた自分をもう一度見つめ直しながら、息子の子育てと共にもう一度自分も育ってきたような気がしている。
「映画を観たい」と泣いた私は、映画そのものがすごく観たかったというよりは「好きなものを好きだ」と声に出したかった。
コーヒーはブラックが好き。
本屋が好き。
文具が好き。
野菜の中ではきゅうりが好き。
タオルケットの柔らかさが好き。
プラネタリウムが好き。
1人でのんびりする時間も好き。
好きな色はいろんな色が入り混じった夕方の空。
どんなに小さなものでも、わたしのなかの好きを見つける作業を10年以上続けてきた。時には嫌いなものに向き合うことで、好きなことが見えてくることもあった。
「心の余白作り」は私が大切にしている時間だけれど、これは好きなものを忘れないため。好きなものを好きと言えることは私にとって生きるためのエンジンになる。
好きなものはありますか?
好きだったことはなんですか?
好きなものを好きと言える。それは誰でもないあなたがあなたのことを認める1つの方法になると思う。
ここまでお読みいただきありがとうございました(*´꒳`*)