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足と手が震えて泣きたくなった日。

100人の同級生を目の前に、発表した。
大丈夫。わたしならできる。練習もたくさんしたし大丈夫。
そう念じながら、前に立ち一呼吸してから発表を始めた。

まずは自己紹介。
上手く言えた。これならいけると台本を読みながらスライドを次のページへとめくる。
すると、突然、足が震えだす。

やばい。落ち着け。読めばいいだけ。
それだけ。たった5分。

強く念じれば念じるだけ、足の震えが強くなる。

それでも、自分なりに頑張って読み進めていくと、
一瞬、足の震えが止まる瞬間があった。

これならイケる!と確信した瞬間、
今度は声が震え始める。

息をするのも精一杯だった。苦しい。
そんな感情がよぎった瞬間、
頭がパーン!ってなった。

そこから「ご清聴ありがとうございました。」というまでの時間の記憶がない。
あとから友人に聞くと「喉の調子がおかしなくったのかと思った。」と言われた。

ひとつ前のプレゼンでは、声を震わせることなく落ち着いて発表ができたし、今日も発表までの時間に何度も練習していたので大丈夫だと思っていた。

だけど、緊張に抗うことができず、声を震わせ何を言っているかという内容よりもこの人は大丈夫なのか?という印象を聞いている人に与えてしまった。

動悸が止まらないまま、なんとか頂いた2件の質問に答える。
回答後、先生から頂いたコメントの時間でようやく正気に戻ったような感覚があった。

席に戻ると、ゼミ生と先生からのLINEが。
こんなズタボロになった人間に「お疲れ様でした!よかったです」とメッセージをくれる人がいたのだ。

これを見たわたしは、
できるはずだったことが思うようにできなかった悔しさと、
それでもわたしに温かいコメントをくれる優しさに包まれ、
涙があふれた。

だけど、この出来事を今、冷静になって振り返ってみても不思議と嫌な気持ちにはならない。
また、やってしまった…。という後悔はあるが、フラッシュバックした映像にうなされることはなかった。

過去は、震えた声での発表を思い出しては、
うなされ眠れない夜を何度も過ごしていたのに。

しかも、わたし以外の発表者、さすが大学4年生と思わせるうますぎるプレゼンをしていた中でのこのズタボロさだったのに…。

なぜか、まぁそういうこともあるよね。
みたいな自分にお疲れさまと言えるような精神状態にいるのが今。

なんで?
分からない。
自分を受容し始めた証拠なのだろうか?

できなかった悔しい気持ちを友人や先生にすぐ吐き出して、慰めてもらったからだろうか?

はたまた、将来への不安で苦しくてフラッシュバックさせるほどのことの大きさではないと無意識のわたしが軽くとらえようとしている結果なのだろうか?

色んな要因を考えてみたが、いちばんしっくり来たのは、
他者にどう見られていたかを知ることができたことと、
自分のできなかった悔しさをすぐに吐き出せたことにあると思った。

しんどそうだったけど、面白い研究だね。
100人の聴衆の前で発表した結果、数人の人がそう言ってくれただけでわたしにとっては救いだったのかもしれない。

ここが過去に声を震わせ自己否定に陥っていた自分との相違点だと思う。
これをもし一人で抱えていたら帰宅時間、全部の時間を使って、今日の発表を思い出し、ひとり反省会を行い、
○○さんにこう思われていたらどうしよう。
あぁ~あいつの発表ヘタクソだったなと全員が思っていたらどうしよう。
などと、ありもしない「どうしよう」にうなされていたに違いない。

今日の出来事を冷静な自分が客観視した結果、
できないことはしょうがない。
できなかったこと・後悔したことなどを抱え込むのではなく、
頼れる人に話せるかがすごく大事だと分かった。


久しぶりに、悔しい思いした。
大学4年生にもなると、できることできないことの分別がある程度ついてできないことを無意識的に避けようとするから、ある程度のことが「できる」で構成されていて、悔しいなんて感情はあまり抱かなかくなっていたように思う。

悔しいって思ったとき、
次はもっと上手く喋りたいと思うようになる。

今回の失敗を、上手く客観視することができたおかげか、
次にあるであろう人前での発表には何が必要なのかを分析をしようと前向きな気持ちでいる。

いや、これ。
シンプルにわたしのなかでの大成長。
すごい。すごいよ。
とりあえず、今日のわたしへ。
お疲れ様。

そして、わたしにお疲れ様と優しく声をかけてくれ、
弱音を吐かせてくれた友人や先生のように、
懐深い存在になっていきたいと思いました。

みんなも、今日1日生きていて偉いね。
また明日も1日頑張ろうね。

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