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わたしは、表現者になりたい。

わたしは、ずっと会社員になれない人間だと思っていた。
高校で感じた、普通とか一般とかそんな言葉に対する違和感。

これらから逃れるためには、自分で生きていくしかない。
そんな思いから起業を志し、ビジネスをバリバリやっている経営者・起業家と多く出会った。自分も起業を志した。
いわゆる意識高い系の大学生をやっていたのだと思う。

最初は、自分の思いを強く持ち、行動する彼らがわたしの目にはキラキラとして映った。これだと思った。

自分も頑張りたいと思い、さらに人脈を広げていく。
自分のやりたいことに真剣な人は、心も広い。
大学生のくだらない夢物語に、真摯に向き合ってくれる。

とてもありがたかったが、彼らの熱量が高まるのを感じるたびに、
自分のビジネスに対する熱量の限界を感じるようになった。

ここまで着いてきなよと言われているのに、
そこまで着いていくほどの熱量を自分は持てません。
自分は、この限界を超えるほどの覚悟がありません。
そう言わんばかりに、彼らの質問に対して、口ごもる自分がいた。

「あなたは、何になりたいの?」
「この事業の目的は?」「自分の軸は?」
「それは社会的にニーズがあるの?」
いろんな角度から、いろんな質問をされる。

質問をされて答えられない。
そんな自分が悔しかったし、そんな自分から逃げたかった。

だけど、ビジネスを自分でするしかない。
そうした期待感を自分は捨てきれずに、
「ビジネス頑張ります。」
「起業します!」とか、大口叩いては行動してた。
だけど、そうじゃない。

わたしは、表現者になりたい。
ようやく、自分のやりたいことが、言葉として出るようになった。

表現者とは何をもって表現者というのだろう。
正直、自分でもわからない。
でも、それでいい。
周りの人よりも、生きるのがヘタクソで、
考えるのがめんどくさくなるほどの頭の中を、
自分の身体でアウトプットしたい。

それはデザインでもいいし、こういった文章でもいいし、
もしかしたら、苦手なダンスかもしれない。
手段はなんでもいい。

わたしの表現で、
社会は変わらなくても、
だれか1人の生きる希望になれたら、それで。

そういった思いがあるから、普通ではない手段を選びたがるのだと思う。
新卒で入社すれば、安定した給料が入るし、社会人として必要な知識も身につく環境に身を置ける。
だけど、安心の中に生きている温かい自分の感性ではなく、
もがいた先にいる自分の感情に出会いたい。
そう思うから、就活をしたがらないのだと思う。

加えてわたしが、憧れる表現者は、みんな就職をしていない。就職しなくても、生きていくことができる世界を知っている。
だから、わたしも普通じゃなくて、
自分を表現することを職業にできる自分になりたい。

かといって、会社員として働き、自分を表現するという選択も可能ではない。そんなことを考え始めると、結局お前はなにがしたいんだ?と、今度は他者ではなく、厳しめの自分が囁いてくる。

むずかしい、もともと"ない"とされている自分を言葉にできても、
違う視点が入れば一瞬で流れていく。その流れを忘れないために書く。
今はこれでいいんじゃないかと思う。
一生涯をかけても、見つからない答えを、一生涯かけて探しに行く。


もがく途中の今は、ADHDの人たちと関わるのが面白いと感じている。
わたしの言葉に興味を持ってくれる人と話すと必然的に、シンパシーを感じるとかそういった部分も含め、興味深い。

だけど、今年に入って1日中元気だった試しがない。
1日のどこかでは、生きる価値のない自分を否定し、
手を止めると、そんな生ぬるい自分でいいのかと尻を叩かれ、
なんとなくパソコンの前に座って、なんとなく作業をして、1日を終える。

このなんとなくで動ける自分の自由さを肯定しながらも、
何者かによって空けられた心の穴は、どんどん大きくなっているように思う。
塞ぎ方が分からないので、この穴から、今までの明るいと言われるポジティブ要素みたいなものがドバドバと流れているような感覚。
だから、最近、本当に何しても楽しくない。昨日なんて、訳も分からないまま人前で泣いた。

こんな感情も、いつかは笑い話になるのだろうか。
未来のわたしに、期待を込めて終わります。
最後まで、読んでいただきありがとうございました。

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