【つながる日本の放課後】福島県双葉郡楢葉町を訪ねて
2023年3月。全国の自治体支援を行う担当メンバー3名と広報の鈴木(筆者)は、人口 約6,800人が暮らす福島県双葉郡楢葉町を訪れました。そして、この町の地域学校協働センターでセンター長を務め、文字通り地域と共に子どもたちの育ちを全力応援している猿渡智衛さんと楢葉町の放課後を巡りました。
これまでにも講演等で活動の様子や地域連携についてのお話を伺っていましたが、実際に現地を巡り、土の上を歩き、風を感じることで、ここで紡がれてきた様々な想いに触れることができました。
2011年3月。12年前の原発事故を機に楢葉町は全町避難指示が出されました。人がいなくなり、地域という基盤を失った楢葉町で一からまちづくりがスタート。猿渡さんは「放課後」にできることは何かをこの地で追い続けています。
この日、私たちは楢葉町だけでなく浪江町、双葉町へも伺いました。
車の車窓から見える家々は、12年前の3月11日から時が止まり、荒れ果てた状態でそこに残されていました。かつてそこにはあたたかな暮らしがあったこと、そしてそれが失われてしまったことを同時に突きつけられるようで、私は嵐のような心を落ち着けようと、気がつけば手のひらを握り締めていました。
私たちは、震災遺構浪江町立請戸小学校、東日本大震災・原子力災害伝承館を訪れながら、楢葉町を含む双葉郡のこの12年間を見つめ、そして放課後からまちの未来をつくっていく活動について、猿渡さんの想いと取り組みをうかがう中で、私たちが伝えられることがきっとある、そう思ったのです。
楢葉町地域学校協働センターにおける放課後子ども教室の活動
学校施設を活用した地域交流の場であり、子どもたちの成長を支える多様な出会い、活動拠点。さらには学校活動の支援のため地域の声を学校運営に反映するなど、様々な役割を持つ地域学校協働センターですが、今回は放課後子ども教室の様子、活動についてお話をうかがいました。
学校施設を活用することで、広いスペースを確保。地域交流拠点にもなっており、世代を超えて様々な活動が日々展開されています。シニアの方が午前中に作っていたお手玉や工芸品を、放課後の時間は子どもたちに教えたり、自然とつながりあい、交流が広がる環境づくりがとても素敵でした。
子どもの声を活動につなげる「ゆずボックス」、地域住民である「市民先生」との多様な活動など、アフタースクールのリクエストボックスや活動づくりを参考にしてくださっているところもありました。離れていても、同じ志を持つ仲間として心を一つに子どもを応援していると感じ、本当に心強く幸せな気持ちになりました。
楢葉町の放課後子ども教室では、福島で大切に伝わってきた伝統工芸に親しむ時間や、学校内だけでなく地域に繰り出していく時間も大事にしています。放課後からまちづくりにつなぐ、未来へと想いを紡いでいく。町民の皆様の願いがあたたかく、力強く、この場を支えていると感じました。
週末の「ネイチャーサタデー」の取り組み
週末には、「ネイチャーサタデー」という自然学習体験を行なっており、これは放課後子ども教室の大切な活動の1つです。活動を支える大事な市民先生、鈴木昇さんのお話を伺いました。
私たちもこの日宿泊させていただいた町営旅館「天神岬」は、絶景を望む天然温泉をはじめ、桜の木々が連なる美しい自然に囲まれた本当に素敵なお宿でした。控えめでとても優しく、チャーミングな鈴木支配人。子どもたちとの日々をうかがうと楽しそうに話してくださいました。
鈴木支配人:私は子どもたちと話をするだけでワクワクします。子どもたちが自然と触れ合ったり、自然の力を借りることを大切にしてほしいと、火おこし体験などを行なってきました。また旅館のお客様も含めてまちの人と触れ合うきっかけになればと思い、温泉磨きや流しそうめん、イルミネーションやスポーツなどここでいろんな活動をしています。子どもと一緒ににぎわいをつくること、人と人が関わることが楢葉のまちづくりにとって大切だと感じています。
私は迷いつつも、「お答えいただくかはお気持ち次第で大丈夫です」とお断りした上で、質問を重ねさせていただきました。
「震災で多くを失った楢葉町で、子どもたちに残したいふるさとや共につくりたい未来は、支配人にとって一体どんなものでしょうか?」
鈴木支配人はやさしい表情で、「ぜひお話したいですよ」とおっしゃってくださり、言葉を続けてくださいました。
鈴木支配人:震災翌日の3月12日、全町避難指示が出ました。まちから灯りが消えてしまいました。全部終わりだと思って泣きました。お墓参りもできないと悲しむ方もいました。でも、そこで改めて気づいたのは人の大切さやつながり、ふるさとへの思いです。人間は強い。いろんなことを考える日々の中で、最初の頃は”〜〜のせいだ””〜〜の影響だ”という声がたくさんありましたが、だんだんと減っていきました。少しずつ町に人が戻り、その強さが連帯感へとつながったのです。1人より2人。2人より3人。つながることで私たちは強くなれました。楢葉町が比較的早く復興したのは、町長の迷いのなさ、決断力も大きな要因です。そしてうまくいかない時はだれかを責めるのではなく、やり方がよくなかったと切り替える力をみんなが持っていることでした。 3月11日はとても寒く、暖をとることの重要性、火の大切さを私たちは知った。繁栄の象徴である「火」と、家族を繋ぐ「水」。雨や風の大切さ。自然は「この世に無駄なものはない」と教えてくれます。今は学校で草木の名前を教えたりはあまりしないかもしれない。でもいざという時に知識をもっていること、何が命をつないでくれるのかを知っていることはとても大切です。教育を通じて人間は強くなれる。 子どもたちには夢中になって生きてほしい。教育は机の上だけではない。「これってなんだろう」と思う気持ちを大事にして、放課後は生きるために外に出よう!そんなふうに思っています。
楢葉町のレポートはここまでとなりますが、視察を終えた翌日、私は一人福島県富岡町夜の森へ行きました。
翌週に桜まつりを控えた4月1日。早咲きだった桜は満開で大見頃を迎えていたこの日、帰還困難区域 特定復興再生拠点区域となっていたこのエリアの避難指示がまさに解除された当日でもありました。
午前9時。駅前で行われていた出動式に居合わせ、町長の言葉を胸に、避難指示解除の町内放送が流れる中、見事な夜の森の桜並木を歩きました。
避難指示が解除されても、かつての暮らしがすぐに戻ってくるわけではありません。地域に残る課題は大きく、解決にはまだ長い時間がかかります。それでも、春風が通り抜ける満開の桜の木々の下、人の笑い声が溢れる今日という日を私は宝物のように大事に心に残しておきたい。
夢中になって生きる明日を、放課後からつくっていく。私もその一人として、歩いていきたい。
写真・文:
放課後NPOアフタースクール コミュニケーションデザインチーム 鈴木香里
※放課後NPOアフタースクール公式ブログより再編集して転載しています。