基礎教育「読む」
「人の事を考える」
我が国全体が個人主義を通り越し、利己主義に傾斜しています。混雑した駅や繁華街では、まるで前から来る人を威嚇するように向かってきます。電車内でも弱者の方に席を譲るどころか、ゲームに夢中になっている人を数多く見かけます。同じく、電車内での携帯電話も、若い人よりも年配者に多く見かけることに、自分自身恥ずかしく思うことがよくあり、子ども達の低学力に到った原因がどこにあるのかを理解しました。
「読む」学習も、これまで3つの内容でお話ししてきました。今回の中心課題は会話、コミュニケーションです。会話は、相手が何を考え、何を話したいのかを理解しなければ成立しません。相手を知るには、数多く話すことだというのが常識です。会話では、話し相手が語ることをしっかり聞く事が大切ですが、聞く為には、語彙の存在を無視するわけにはいきません。人の「気持ち」ほど難しく、また、表現することが困難なものはありません。その為に、多くの形容詞が必要であり、副詞の存在が大切だと思います。更に、人の心を読み取るには、語彙数だけでなく比喩など表現方法も知っておく必要があります。文章読解で、作者の気持ちを代弁するなど、問題として最も難しいため、その解答は、憶測や推測で書く事になります。
人と人とのコミュニケーションに問題を抱えているだろう日本社会において当たり前である「会話」というものが不足しているという点は見逃せません。ご存じの通り、昨年より「いじめ問題」がクローズアップされています。物事の処理が表層的な部分で終わることだけは避けなければなりません。教育において、「いじめ問題」の中心的部分が、人の事を考える、人の心を読むという事ではないでしょうか。
心の教育と一口に言っても、抽象的で捉えようがなくなります。しかし、ことばが人の心を作るという事実は、その先にある、会話やコミュニケーションを指しているのではないでしょうか。語彙数の高まりと共に、人間形成の土台である基礎を学ぶ場が必要となります。
このように、「読む」と言う学習の4番目は、相手の「心を読む」という事です。国語学習だけでなく、広く捉えれば社会学習にもなる学習です。また、2番目にあげた「文章の読み取り」ではなく、更に一歩進んだ、作者の心情を読み取るという学習に通じていきます。OECD報告にある、子ども達の読解力の低下は、「読む」という学習の本質から見直さなければなりません。今後、教育全般が以前のような「詰め込み」、または解答のテクニックに走る事を避けるためにも、教育の真の信頼性を高めるべきだと強く思います。
2013/1/7
著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫