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基礎教育「読む」

「先を読む」

基礎教育「読む」の最後になります。子ども達に「読む学習」を指導する場合、最初に行われる指導が音読です。しかし、声に出して読むことで読めると大抵は判断しがちです。しかし、この音読は、声に出して読めるということであって、内容を読み取っているとは判断出来ません。そこで、文章読解という設問が必要になります。しかし、それで文章全体を読み取れているかは疑問が残ります。文章の一部を抜粋した文章読解のドリルでは、部分的な読み取りになってしまうのです。本来、読解とは物語など全文を読まなければ意味がありません。このように、現在行われている読解の授業は、時間的制約もあり、文全体を通した文章読解ではないように思います。その殆どが部分的文章の読解でしょう。読解は、多くの文に触れていなければなりません。つまり読書が必要です。読書を重ねていくことで、その本に書かれていることを理解します。理解した内容を一定の長さで表したものが「文の要約」です。そして、短くまとめたものが「主題」となります。この様に普段から、読書や、本などの書写を家庭学習として行うべきでしょう。

多くの本を音読し、様々なことばの学習を積み重ねます。ことばの数が増えることで、文や文章の意味理解が出来るようになって来ます。様々な文章を読むことで、様々なものの考え方に接する事が出来ます。勿論、会話や論議を交わしながら、人の考え方も学んで行きます。これら、読むと言う経験が思考力をより高め、更には、物事の分析能力を高めてくれるのです。

人間には他の動物と違い、未来を予測出来る能力があります。予測とは、超常現象にあるような予言ではありません。また、特別な能力を持った人が行えるというオカルト的な予言でもありません。この予測とは、政治や経済では当たり前のように行われていますが、物事を細かく分析した結果得られる近い将来への総合的予想となります。また、囲碁の世界や将棋の世界でも、先の手を読むという事があります。これらが「読む」ことの5番目である「先を読む」ということになります。この「先を読む」ことは、人間の理性という感情と繋がることで、心の抑止力にもなるでしょう。問題を起こす前に、少し冷静になって考えるてみると、幾つかの未来が想像できる筈です。これこそ先を読むという事になるでしょう。

2013/1/8


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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