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なるほどクラック:vol.2 〜平井がCLACKを立ち上げたワケ(前編)〜

認定NPO法人CLACKの活動や取り組みについて紹介していく「なるほどCLACK」。Vol.2、3では、代表である平井が、自身の生い立ちとCLACKの立ち上げについて綴ります。


みなさんこんにちは、代表の平井です。
CLACKを立ち上げた背景を語る上で欠かせないのは、僕自身のバックグラウンドについてです。幼少期から遡って書いていたら結構なボリュームになったので、前編・後編に分けました。


漫画に囲まれて育った小学生時代

阪神淡路大震災の傷跡も癒えない1995年4月。僕は大阪で、3人兄弟の末っ子として産声を上げました。9歳上の姉と7歳上の兄がいます。

兄弟の写真。僕は左下です。前髪のクセは当時からだったようです。

父は、祖父の代から経営していたうどん屋を継ぎました。
特定の常連さんが出入りし、新規のお客さんは入りづらい雰囲気のお店。昔ながらの、繁盛しない飲食店を象徴するかのような店内には、大量の漫画が並べられていました。小学生時代はお店に入り浸り、置いてある漫画をだらだらと読みふける生活。当時はジョジョやバキ、金色のガッシュや植木の法則にハマっていました。

お店の経営が悪化しているのを感じ取っていた母は、小学生の僕を学習塾に通わせてくれていました。この時、塾に通うことで身についた「勉強の習慣」は、その後の逆境を乗り越えていく上で非常に役立つことになります。

家族がバラバラになった中学生活

中学は地元の公立校に進学しました。
野球漫画が好きだったので野球部に入部。自分なりに頑張っていましたが、現実は漫画ほど甘くなく、結局3年間1度もレギュラーになることはできませんでした。「野球やスポーツで食べていくのは難しそうだから、勉強していい大学に行こう」当時は漠然と、そんな風に考えていて、勉強に関してはなんとか学年トップをキープし続けることができていました。

転機を迎えたのは中学2年生のとき。
上の兄弟が家を出るタイミングで、父親が自営業を辞めました。さらに勢い余って(?)両親も離婚してしまい、家族はバラバラに。中2の僕はどちらの親権を選ぶのかを迫られました。

・教員免許を持ち、頼れる人もいるように見えた母親
・50歳を超えて無職になり借金を背負い、職人気質で友人が少ない父親

このとき、僕の選択に影響を与えたのは「ジョジョ」でした。
僕はその中でも5部、特にブチャラティが好きだったのです。

ブチャラティの人となりがわかるシーン

ブチャラティに影響を受けていた僕は、「父親は自分がいないとダメになる」と考え、父親の親権を選びました。その結果、経済的に非常に厳しい状況になりました。

格差を実感した高校生活

  • お金がない中でも、北野高校という大阪の公立では一番の高校に進学することができました。ここで超優秀な同世代と出会ったことは、今でも僕の財産になっています。

    一方で、僕と同級生たちとの置かれている環境の違いを感じていました。
    東大生の親の6割が年収950万円以上と言われるように、偏差値の高い高校ほど裕福な家庭の子が多いのです。普通の生活でさえ自分がなんとかしないとどうにもならない僕は、大きな劣等感を抱いていました。格好悪いからという理由で、誰にも、家にお金がないことや父子家庭であることについて話せなかったのです。

    当時の僕の生活は、

  • 部活の試合に行くための交通費がない

  • 家の電気やガスが止まる

  • 父の給料日前には冷蔵庫に食べるものがなくなる …など。

そんな高校生活だったので、放課後はバイトをして生活費に使ったり受験費用を貯めたりしていました。また、バイト以外でも何か稼ぐ手段はないかと考え、ネットゲームのアイテムを集めて換金するなどしてお金を稼いだりもしていました。

余談ですが、美術の時間に描いた自画像です。絵の具セットを紛失してしまったものの、新しいのが買えなかったので、友達に借りた茶色系の絵の具だけで描きました。美術は5段階で2でした。

大学受験の失敗と誤算

高3に入ってからは、なんとか自分で貯めたお金で家の近くの東進に通って、猛勉強しました。家庭の状況的に、絶対に浪人はできません。「いい大学に行って人生を好転させてやるぞ」という想いで、自分を奮い立たせていました。

しかし、結果として第一志望だった大阪大学には落ちてしまいました。受かる自信があっただけにかなりショックだったのは覚えています(実際、後の成績開示では、合格点まで後3.2点でした)。

とはいえ、私立の同志社大学には受かっていたので、「国公立より学費は高いけど、奨学金を借りて頑張ろう」と気持ちを切り替えて入学手続きをはじめました。そのときに事件は起きました。

奨学金の支給は大学入学後の5月。入学金などの初期費用は自前で用意する必要があります。支払いが難しい家庭には、建て替えの措置をしてくれる制度もありましたが、活用しませんでした。お金がなく精神的にも余裕がなかった父は、私立大学に進学することをよく思っていませんでした。建て替えの申請自体も煩雑なことから、結局期限までに申請することができなかったからです。そのため、入学に係る諸々の費用を払えなくなり、大学に進学できないという状況に陥ってしまいました。

「今度こそ」と誓った浪人生活

しかし、僕はそこで運よく2度目のチャンスを得ることができました。
事情を耳にした母が、助け舟を出してくれたのです。

「予備校代までは出せないけど、受験費用や生活にかかる費用は私が出してあげる。せっかくここまで頑張ってきたんだから、もう1年頑張っていい大学に行きなさい。出世払いで返してくれたらいいから」

もう一度チャレンジできる。
その想いは非常に強い希望となりました。
現役時の失敗を活かしつつ、計画を立てて勉強に明け暮れました。おかげで成績は、京大模試でA判定を取れるまでに上昇しました。センター試験でも悪くない点数を取り、満を辞して京都大学を受けました。

しかし、結果は不合格でした。
「勉強以外で今の生活から脱出する手段はない」と思っていた当時の自分。
頼みの綱の大学受験でさえ、結果を出すことはできませんでした。京大に進学できなかったことよりも、期待してくれていた周りの人の期待にまた応えることができなかったということが何よりもショックでした。

後編について

ここまでの人生で、”勉強ができなかったら自分には価値がない、お金を稼げる仕事をしたい”そう思っていました。リーダーや代表と言った立ち位置も未経験。そんな僕が、なぜNPOを立ち上げるに至ったのか。大学入学後の活動や出会いがCLACKに繋がっていくことをお話ししたいと思います。



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