書評:先崎彰容『本居宣長「もののあはれ」と「日本」の発見』(新潮選書)
大意
中国から西洋へ、私たち日本人の価値基準は常に「西側」に影響され続けてきた。貨幣経済が浸透し、社会秩序が大きく変容した18世紀半ば、和歌と古典とを通じて「日本」の精神的古層を掘り起こした国学者・本居宣長。波乱多きその半生と思索の日々、後世の研究をひもとき、従来の「もののあはれ」論を一新する渾身の論考。(新潮選書から引用)
本書の目次
序章 渡来の価値観――「西側」から西洋へ
二枚の写真/「東側」から「西側」へ/華夷秩序の崩壊/普遍的価値の動揺/本居宣長の登場/一般的な宣長像/普遍的価値との軋轢と葛藤/「もののあはれ」論の更新
第一章 「家」と自己像の葛藤――商人、あるいは医者と武士
義兄の夭折/江戸の「あきなひ」と京都の「みやび」/幼年時代からの乱読癖/「今井田家養子」と浄土宗信仰/成果のない商人修行/顔のない「家」/継続すべき「家」という存在/商人から医者に転身/本居姓への改姓/先祖の来歴へのこだわり/本居姓と武士の系譜/場所と時間の発見
第二章 貨幣経済の勃興――学術文化の都への遊学
宝暦年間の京のにぎわい/堀景山との出会い/奇才たちの時代/分水嶺の時代/農本主義から重商主義へ/社会の流動化と国学の誕生/学問観をめぐる対立/「聖人の道」など無関係/徂徠学派が見た日本/朱子学への懐疑/宣長の現状認識/紫宸殿と古代憧憬/和歌のある日常/清輔朝臣と鴨長明/宇治川に浮かぶ七百年
第三章 恋愛と倫理のあいだ――『あしわけをぶね』の世界
大野晋の推理/『あしわけをぶね』冒頭の定義/朱子学の詩論と感受性/宣長の恋/歌論と源氏物語論へ/世界の「人情」をありのままに/『あしわけをぶね』の読み方/古今伝授とは何か/古今伝授の政治的意味/三鳥の伝と政治権力/三人の「古今伝授」批判/契沖という先駆者の発見
第四章 男性的なもの、女性的なもの――契沖、国学の源流
契沖学の成り立ち/「人間的立場」という評価/『勢語臆断』の挑戦/人間関係の相違/「人情」とは、なにか/社会的通念と異なる関係性/「実情」と詞の技巧/自他を架橋する詞/和歌と国学の関係
第五章 「もののあはれ」論の登場――『石上私淑言』の世界
古典主義者、賀茂真淵/「うた」の世界へ/正岡子規と古今和歌集/古今和歌集成立の背景/グローバル化と漢詩文集/普遍的価値観への挑戦/「ことば」の役割/歌集が生みだす「型」/「もののあはれをしる」とは何か/日本語の伝統/音読みと訓読みの発見/和辻哲郎と「もののあはれ」/永遠の根源への思慕/「于多」について/「詠」の読み方
第六章 源氏物語をめぐる解釈史――中世から近現代まで
源氏物語という文化遺産/『石上私淑言』と『紫文要領』/『紫式部日記』にみる闇/桐壺巻にみる権力瓦解の予兆/楊貴妃とエロス的関係/藤井貞和の説/和辻哲郎の説/光源氏はなぜ好色なのか/折口信夫の源氏論/「色好み」と「稜威」/国学の系譜へ
第七章 肯定と共感の倫理学――『紫文要領』の世界
四辻善成『河海抄』/夥しい解釈史/詩学の源氏物語解釈への影響/荻生徂徠の「詩」解釈/準拠説と「物語道」/精神の空白と微笑み/宣長の「物語」解釈/相容れない解釈/『湖月抄』の物語論/「からごころ」の人間関係/蛍巻にみる人間関係/「そらごと」ゆえの価値/忘れられた「もののあはれ」/ヒューマニズムという罠/源氏物語とは何なのか
第八章 「日本」の発見――「にほん」か、「やまと」か
『成熟と喪失』の母子関係/儒教の「天」の喪失/ナショナリズムと男性の系譜/「からごころ」と漢字表記/万葉主義と新古今主義の深い溝/真淵の『萬葉新採百首解』/「ますらをぶり」の政治思想/宣長は本当に男性的か/「日本」の発見/「にほん」か、「やまと」か/倭国は未開の国なのか/「日出づる国」の国際秩序観/「日本」の登場/宣長にとっての「日本」/日本書紀の国際感覚/日本書紀の解釈史/平安京以前の信仰へ/山々に囲まれた「やまと」
終章 太古の世界観――古典と言葉に堆積するもの
宣長、ルソー、カント/坪内逍遥と『源氏物語玉の小櫛』/古典を手ですくい、飲み干す
あとがき
註 主要参考文献一覧
書評
単なる懐古趣味的な国学研究とは一線を画す、現代日本の政治状況を射程に入れた意欲作である。本書は、パックス・アメリカーナが終焉を迎えつつある今、日本がいかに世界と対峙すべきかという喫緊の課題意識を根底に持ちながら、本居宣長の思想を精緻に読み解いていく。
本書の特徴は、まず何と言っても、宣長研究の核心たる「もののあはれ」論を、宣長の悲恋体験という個人的な経験と丹念に結びつけながら、その本質を丁寧に炙り出した点にある。さらに、従来の教科書的な賀茂真淵は「ますらをぶり」で本居宣長は「たおやめぶり」といった二項対立的な記述に留まらず、宣長の内面に深く分け入り、「もののあはれ」の真髄を捉えようとする著者の姿勢が窺える。
さらに、著者は日本人の「原意識」の古層を発掘することに力を注いでいる。「日本」と「やまと」の違いという一見マニアックな文献学的研究と思いきや、当時の隋や唐との国際情勢と連動して変遷していた切実な意味の違いを浮き彫りにし、日本人の意識の深層に迫る。このアプローチは、現代日本人が抱える国際情勢にどのようにして対峙するのかという問題にも光を当てており、現代的な意義を有していると言えよう。
本書を読み進める中で、最も強く印象に残ったのは、宣長の「もののあはれ」論が、ナショナリズムに背を向け、日常の生活と自然に対する繊細な感受性を重視した点である。この指摘は、宣長を国学の祖として単純化して捉えがちな我々に、新たな視点を提供してくれる。
補足、提案、懸念事項
しかし、著者の文脈から距離を置くと、同時にある種の疑問も湧いてくる。そうは言っても、水戸学を嚆矢とするナショナリズムの勃興に、結果的に宣長の思想が一役買ってしまった点は否めないのではないかという点だ。本書ではこの点について、本居宣長の繊細な面を理解できない受け取った側の誤解に過ぎないと冷淡に突き放しており、十分な検討がなされていないように感じられた。
下部構造検討の必要性
これが単なる揚げ足取りでないのは、下記の点からも指摘できる。つまり、国際情勢に日本人はどのように対峙するのかを考える上で、日本人としてのアイデンティティを模索するのは良いとしても、アイデンティティは観念的に内面を掘り下げるだけでは不十分で、科学や技術、資本の蓄積、インフラ、人的ネットワークの構築など、マルクスが言うところの諸関係の結節が下部構造として日本人のアイデンティティを支えているはずである。本書においては、そのような下部構造についての検討が皆無であった。
トッドの家族論
さらに、マルクス嫌いの人のために、下部構造の考察として興味深いものを提案するならば、エマニュエル・トッドの家族論を挙げよう。
詳しくは後日近著の書評を掲載するが、世界各国の民族の特徴を家族制度から分類して8つにグルーピングしている。日本は直系家族に分類され、子供のうち一人(一般に長男)は親元に残り、親は子に対し権威的であり、兄弟は不平等である。ドイツやスウェーデンも同様で、製造業に適性があるとされる。
他方、イングランドやアメリカ合衆国やカナダは、絶対核家族に分類されて、子供は成人すると独立して、親子は独立的であり、兄弟の平等に無関心である。基本的価値は自由であり、世界の他の地域に比べ、女性の地位は高い。これは、核家族が本質的に夫婦を中心にするため、夫と妻が対等になるからである。そのため、流動性が高い社会となり、資本主義に適性があるとされている。
本論に戻ると、直系家族の社会に核家族の原理を持ち込もうとする無理が日本社会にあったと思うのだが、こういった下部構造の観点から、日本はどのような社会を構築して、どのようなアイデンティティを打ち立てるのかを模索する必要があると考えるが、このような観点は皆無であった。
一点だけ本著の中で下部構造の要素を拾い上げて評価するとすれば、本居宣長の京都遊学時代において貨幣経済が勃興していた経済の豊かさと、都市における個人の自由が発達していたエピソードは実に興味深かった。悲恋体験と個人の自由は関連性があると思うので、この点を深めれば有益な日本人論を析出することができるかもしれない。
人工知能で考察してみる
最後に、一点補足であるが、本著を読んでいてふと西田幾多郎の純粋経験との連想が浮かんだ。主客融合という点では共通点がありそうだが、普遍性を志向する文脈が強い西田哲学と、固有な経験を志向する「もののあはれ」は相性が悪そうだが、著者の所論を読んでいて、ふとそういうイメージが思い浮かんだ。
今どきのご時世にマッチするかと思い、Gemini Advanced 1.5Pro のDeepResearchを用いて簡単なレポートを書かせてみた。考察を深める必要があるが、先行研究があまりにも少なく、やはり無理筋のマッチングだったと後悔した。深堀りしても有益な考察は得られない可能性が高いと思う。一応、奇特な方向けにPDFファイルだけ共有しておく。
とはいえ、本書が提示する宣長像は、従来のイメージとは異なる、生々しく、そして無難ではない、非常に論争的なものであることは間違いない。現代日本が直面する課題と向き合うためのヒントの一つを、本書は我々に与えてくれる。現代を生きる全ての人に、批判的にであっても一読を勧めたい一冊である。
著者の紹介
先崎彰容(センザキ・アキナカ)
1975年、東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒。東北大学大学院文学研究科博士課程を修了、フランス社会科学高等研究院に留学。2024年5月現在、日本大学危機管理学部教授。専門は倫理学、思想史。主な著書に『ナショナリズムの復権』『違和感の正体』『未完の西郷隆盛』『維新と敗戦』『バッシング論』『国家の尊厳』などがある。