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徳倫理学:マッキンタイア『美徳なき時代』から考える「共同体における善」~ビジネスへの視覚(3)~

私たちは道徳的に行き詰まりを迎えています。

19世紀末にニーチェが「神は死んだ」と言って以来、西洋では道徳が崩壊の一途をたどっています。

コロナ禍において、マスクを着用させるなと抗議するデモが西洋では広がっていますが、これもその現れと言っていいでしょう。教条主義的に「表現の自由」や「身体の自由」が尊重されてしまって、コミュニティの持続可能性が損なわれています。

個人の自由意志を尊重するカントの義務論が行き詰まりを迎えている一例と言っていいでしょう。教条主義的に自由意志を尊重することによって、かえって生活の自由度が低下しているようにすら見えます。

しかし、アジアでは西洋の制度や学問を和魂洋才的にいち早く導入した日本も無縁ではいられません。

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ビジネスの世界では形式的なコンプライアンスにがんじがらめになっているかと思えば、社内の人間関係は干からびてしまっていて、かつてあった共同体としての機能は会社から消失してしまっています。

私生活においても、都会では隣人の正体も知らず、田舎の共同体は少子高齢化と人口減少も相まって崩壊の一途をたどっています。

まさに、マッキンタイアが言うように「美徳なき時代」となっており、コロナ禍においてその深刻度は高まる一方です。

マッキンタイアはアリストテレスの徳倫理学において、この混迷から抜け出す方途を探っています。

彼は「共同体における善」をアリストテレスの倫理学に見出して、個人の内面よりもコミュニティにおける行為、いわば徳を積むことを重視しています。

しばらく、マッキンタイアの所論を見ながら、ビジネスへの視覚を見出していくこととします。

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