【高校生活】この教室にいる権利
こんばんは、のぞみです。
突然、高校生の頃を思い出したので、今日は振り返りnote。
地元の進学校というプレッシャー
いわゆる、進学校だった。理数科からは、東大10人、京大10人、医学部10人輩出という無謀なチャレンジを言い渡される。入学直後に、志望校を提出する。
理数科は1クラスで、学年にたったの40人。普通科は、6クラス。毎月定期テストがあり、職員室の前に番付が貼り出される。
全科目合計の成績で、上位40人は昼休みに集められる。「激励会」とは名ばかり、励まされている気には到底なれない。
「上位40人=理数科40人」になるわけがないのに、激励会に呼ばれなかった学生は「理数科失格だ」と言われる。誰からって、教師からだ。
「あ、わたしこの教室にいる権利ないんだ」
いま思えば、洗脳に近いと思ってしまう。だってそうじゃない?成績を貼り出して、上位40人だけを集める排他的な会を開いて、「価値があるか、ないか」はっきりと選別されているように感じた。
ずっとがんばっていたけれど、あるとき一度、上位40人に入れなかった。素直な高校生だったから、「わたしって価値がないんだなあ」と思ったんだ。この教室で学び続ける価値、ないんだなあ。この場は、わたしの存在を認めてくれない。
そのあと、高2の初夏にみんなより少し早く弓道部を抜けて、また勉強一本でがんばることにした。教室に居場所がなくなることに、とてつもない恐怖を感じたからだった。「良い大学」に行かないと、学校も家族も離れていってしまうような気がしていた。
秋になると、全国模試でC判定が出た。「このままがんばれば大丈夫だな」「よかった、よかった」「ひと安心だね」「この調子でがんばれ」みんながニコニコ笑顔で、ふぅ、とひと息ついたようだった。
この調子でこのままがんばるなんて、無理
あ、無理だこれ。
「こころが折れる」なんてよく言ったもんで、ポキッとなにかが折れたようだった。いままで張り詰めていた糸がプチンと切れて、突然起き上がれなくなってしまった。
この調子でこのままがんばって、「良い大学」に入れたと仮定しよう。そこでわたしは、「良い会社」に入るためにまたがんばることになるんだろう。履歴書に書くための「良い行い」を積み上げて、「良い履歴書」を作るんだろう。
あ〜、やっぱり無理。人生終わった。
そうだよね、そう思っちゃうよね。こんな状況だったら、そう思っちゃうのも仕方ない。死にたくなって当然だ。家と学校しか居場所がないのに、家と学校から認めてもらえないと思っちゃったんだもん。
いまのわたしから、ひとことお伝えしよう。
この教室にいる権利は、全員平等だ
あの担任の先生が決めるもんじゃない。上位40人に入らなくたって、そんなヘンテコな会のこと気にしなくたっていい。
そんな狭い世界、捨てちまえ。
ルンバが壁に突っ込んで、動けなくなってるのを見てるみたい。ほんとはめちゃくちゃ広いよ、そっちはもう行き止まり。
大丈夫、そんなところに、あなたのことを大事にしてくれるひとはいないよ。だから、捨てても大丈夫だったんだよ。
大きすぎる期待と真正面から向き合ってきて、えらかった。もうそんなもん見なくていい。ちょっと視線を横にずらしたら、もっと優しくてあったかくて、有機的な世界があった。
「選択の連続だと思ってるかもしれないけど、ほんとは一本道だよ」
先日コーチングの講座を受けているなかで、するりと口から出た台詞。
人生は選択の連続だ、と再三言われてきたし自分もそう信じてきたけれど、何十年も先から見たらずっとずっと同じものを追い求める一本道だったのかもしれない。
「高校」なんて小さな世界で潰れてしまわずに、今日まで生きていてえらかったなあ。あのとき死んでたら、こんな景色は見えてなかった。
我慢して我慢して、ずっと期待に応え続けてたとしても、きっとどこかでガタがきてた。当時はつらかったけど、しがらみに抵抗し続けてくれてありがとうって思ってるよ。
もう、過去にしよう
やっと、やっとだ。
いまなら、過去にできる気がする。
「まあ全部、終わった話だからね」って。
手放して、前に進む記念日。ここに、居場所はある。
おやすみなさい。
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