戦争に関する本2冊と1冊
夏だから、というわけではないですがたまたま戦争に絡んだ本を2冊続けて読みました。そしてあと1冊、ある意味でさらに重いことが確実の本を読むつもりでいます。が、果たしてこちらは読み通せるかどうか……。
まず先に書名を挙げます。
①『軍靴の響き』 半村良 角川文庫 1979年
②『戦争PTSDとアメリカ文学 南北戦争からベトナム戦争までを読む』 野間正二 文理閣 2023年
③『兵士であること 動員と従軍の精神史』 鹿野政直 朝日新聞社 2005年
①『軍靴の響き』は小説です。最初の書籍化は1972年。近未来SF?に分類されるのでしょうか、起こりうる恐ろしい将来を描いた小説です。
時代はおそらく出版当時の〈現在〉である1970年代(←本が手元にないので正式な年数は確認できず。ごめんなさい)。
インドネシアに石油が出て、その利権をいまは日本が持っている。しかし各国が虎視眈々と狙っているから、その防衛のためには〈軍の護衛〉がぜひとも必要……という理屈を盾に改憲を狙う勢力と、反軍事化を訴える市民運動グループ、そのグループを利用・操作する勢力、と主張・利害は入り組みつつも〈戦後〉の時は流れ、〈徴兵される〉〈出兵させられる〉ことの現実味が薄くなった若い世代に向けては、有利な就職を餌に徴兵検査の登録が推奨される……。
半村さんの本を読むのは3作目です。読むたび思うことですが、文章がめちゃくちゃうまい! 何てことない、さらっとした文章なのですが、達意の文と言うのでしょうか、複雑な状況でもするする理解できます。
しかし本書の物語はと言うと、ただただ嫌な味わいです。その時々・立場立場で最善を選んでいるつもりなのに、危険なほう、危険なほうへとじりじり転がっていくのが恐ろしい。アッと驚く展開とか意表を突く伏線はほとんどありません。そのテの〈だまされた!〉感はないのです。登場人物たちは現実を見て、各自の良心・事情に応じて、当たり前の判断に、当たり前に・地道に従っているつもり。なのにそのことが悲劇へとつながっていく感じがうすら寒くて、ああ、これは現代版『オイディプス王』なのだなと思いました。現代版で、現実版。小説で読んでいるだけでも、どう対処したら良いのか・対処し続けるべきなのか、さっぱりわからないのに、現実世界でこの事態が起ころうものなら、私はどうしたら良いんだろう……。
②『戦争PTSDとアメリカ文学』は、アメリカ文学を、戦争PTSDの観点から読み解こうという本です。精神医学的なことと文学とをつなぐ試みはときどきあって、著者が精神医学系の人の場合と文学系の人の場合とがありますが、本書の著者は文学系の人です。
読んでいると、小さい誤字脱字が結構たくさんあるし、扱う事象に対してちょっと不謹慎に感じる表現が1、2あったり、アメリカの精神医学診断書を使っているけれど「これってその診断かなあ……?」と私的にはあまり賛同できなかったり、文章的に繰り返しが多くて読みづらかったり、と、読んでいて、ん? ん?となることがかなり多かったです。
ただそれでも興味深く読めたのは、取り上げられている作品のほとんどが私は未読だったからか、著者の考察に納得する部分があったからか……私なりに集中して読んだはずなのに、微妙な引っ掛かりの残る本ではありました。
内容は副題にある通り、南北戦争からベトナム戦争まで、出兵すること・従軍することの影響が描かれた小説を、戦争PTSDに注目して読み直そうというものです。取り上げられる作家は、アンブローズ・ビアス、スティーブン・クレイン、ユージン・オニール、F・スコット・フィッツジェラルド、アーネスト・ヘミングウェイ、J・D・サリンジャー、ティム・オブライエン、そして附録的に大岡昇平。
題材にされている全14作のうち、私が読んで、内容まで覚えているのはたまたま最近再読したサリンジャーの『バナナフィッシュに最適の日』のみ。むかし読んだことだけ覚えているのがフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』とサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』。どちらも中学とか高校の頃に読んで、は?となって終わった記憶しかありません。でも今回この本を読んで、『ライ麦畑』に関しては、著者の野間さんに新訳を出してほしいと思いました。
むかし、サン=テグジュペリの『星の王子さま』を反戦の視点から鮮やかに解読した本(★)を読んで感激したことがありますが、結局のところ、制度として検閲が入っていようがいなかろうが、強烈な自主規制・目くらましを掛けた上でなければ出版できない本・表現できない主張というのはいつの時代にもあって、そうして出された本を翻訳をする際に、その部分をどの程度配慮・訳出できるか、みたいなところはものすごい難題なのでしょうね……改めてしみじみ思いました。
野間さんの訳であれば、読んでいるときには、ん?となっても後まで読み進めれば前の文とつながって、サリンジャーの意図を汲み取ることができるかもしれない。でも日本語の読みやすさを狙って言葉を補われてしまえば、読み流せることと引き換えに、隠した意図があることにさえ気付けないかもしれない。もちろんこれは、読者の側に、気付くだけの読解力が備わっていることが前提ですが。
とりあえず私は、近い内に、フィッツジェラルドの「メイ・デー」とサリンジャーの「エズメに」を読んでみようと思いました。
③『兵士であること』は小論集です。著者の鹿野さんは日本近現代史の研究者。
私の目当ては、3篇目の「取り憑いた兵営・戦場 浜田知明の戦後」です。浜田さんは1917年生まれの画家で、美術学校卒業と同時に徴兵され、中国に派遣されます。そこで過酷な体験をし、のち、「初年兵哀歌」と題する連作を1950年~54年にかけて発表。
私はこの「初年兵哀歌」を何か別の本で見て、気が遠くなるような衝撃を受けて本書にたどり着きました。なので浜田さんの部分が読めれば一応の初志は貫徹なのですが、せっかくだから最初から通読しよう!と、思ってはいるのですが……大変そうです。しんどくて無理なら通読はひとまず諦めて、3篇目だけ読むことにします。
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