『フランス教育システムの歴史』、挫折…
白水社文庫クセジュシリーズの一冊『フランス教育システムの歴史』を読みかけて、早々に挫折しました。いったい何冊目の挫折だろう、文庫クセジュ。
いろいろ読んだわけではないから狭い範囲の印象ですが、フランスの考え方はたぶん独特でおもしろい。諸子百家時代の中国と似た雰囲気を感じる。
英米系の、科学! 合理! 論理!みたいなわかりやすく一本スジの通った、直線的で迷いのない、思考純度の高い考え方・論理展開に慣れた気分でいると、フランスのはなんかグダグダというか、うろうろいろんな視点を混ぜ込んで、科学だったはずなのに妙に情緒的になってみたり、あの話をしてたはずなのにこの一文はいったい何なの、みたいな文章が入っていたり、論理展開に雑味が多い。ほんで結局なんやねん、ていうかなんやってん……みたいな感じと言いますか。
フランス語の文章を辞書を引き引き読んでいても、代名詞・関係代名詞でガンガン文章を盛り込んで、やたらに一文が長いことが多いし、関係代名詞でつなぐもんだから視点があちこち飛んで日本語に実に訳しにくい。訳してなくても、日本語気分では意味がそもそも取りにくい。
もちろん、読み下手なのは私のフランス語力が低すぎるから、なので、そこに不満を言いたいわけではなく、たぶん、この文法構造とフランス語話者のものの考え方・理屈の立て方にはいくらか関係があるのでないかと思うのです。いや、たぶん、ですが。
で、たぶん、その考え方の根本が微妙に異なるらしいことは、何かしら新たなことを考える・気付くための踏切板、ジャンプ台の役目をしてくれるんじゃないかしら、と私は強く期待するのです。
だから、私はクセジュが読みたい! タイトルだけ見ても、お、お、と思う本はいくつもあって、実際に何冊も手には取ってきた。が! 訳が、訳がひどいのよ――……(号泣)。一文につき3回くらい読み直してやっと、何がどうだと言っている、らしい、よな?くらいに見当がつく、なんて程度にすごい訳文がちょいちょいあって、ひどくなると、その見当すらさっぱりつかないヤツもある。これ、訳者の人も原文読んでわかってないよね? 編集者も訳文読んでわからなかったよね? 私だけじゃないよね? ね? みたいな絶望感をしばらくじっくり味わって、それから悲しく本を閉じる……みたいな経験が1冊や2冊でないのです。
ただ、私がこれまで読んできたのはどれも古い本ばっかりなので、訳だってもちろん古い。なんなら漢字・かなも旧い。しかし今回の『フランス教育システムの歴史』は新しい。今年3月に出たばかりのホヤホヤ。だから読めるかも、と、思ったのです。
そして確かに訳文は、まあ、いくらかは読みやすい。ところどころで3回読まなきゃならないことはあるけれど、むかし読んだ本みたく、〈はじめに〉の時点で既にさっぱり意味不明、みたいなことはなかった。
が、不親切なのよね……。「学生たちはまたたく間にコレージュに集まった。」の一文が18ページにありますが、その以前にコレージュの説明はない。コレージュ・ド・フランスが市民大学みたいな位置付けだったはずだから、なんかそんな感じだろうか……と曖昧なまま読み進めると20ページに「大学のコレージュをモデルにして……」という文章が出てくる。……なんやねん、大学のコレージュって。諦めて『大辞林』で調べると、「①(略)。②13世紀からフランス革命まで、パリで大学生のために建てられた学寮。のちには講義もここで行われた。」なるほど。……ていうか、コレージュは一般常識の一般用語なんですか? 少なくとも初出のときくらい割注で〈大学生のための学寮〉ぐらい入れてくれても良いのでは……と軽く打ちひしがれた時点で、悲しく本を閉じました。このまま読み進めてもきっと、私とこの本との落差は埋まらない……の確かな予感を基に。
……なんというか。この微妙に面倒なハードル(微妙どころじゃない場合もあるけど)。私の根性不足によるものかは知れませんが、毎度ながら、越えにくい。そして読みたかった本ではあるだけに、毎度、空しい……。
『フランス教育システムの歴史』
ヴァンサン・トゥロジェ ジャン=クロード・リュアノ=ボルバラン著
越水雄二訳
白水社 文庫クセジュ 2024年
◎おまけ◎