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「私はこんな人」とは言えないけれど

自分軸。原稿でもたびたび使う言葉だ。

自分らしく生きるために大切にしていることや信念を表す、と私自身は解釈している。自分軸を持っているという人は、世の中にどれくらいいるのだろうか。

その人の生き様を取材する仕事でお会いする方々はみな、自分の中にきちんと芯がある。その芯からブレないような生き方をしていると言える。それこそが自分軸と言えるのだろうし、自分軸を強く持ち、揺るがないからこそ何かを極めて取材を受けるような立場になったのだと思う。

その人にとっての自分軸は、当たり前だがみなそれぞれ違う。「人に流されない」だったり、「心地よさを大切にする」だったり、「選択する自由を持つこと」だったり。自分軸について話を聞くたびに「そんな考え方もあるのか」「私とはここが違う」と自身の考えと比較してきたはずなのだが、どうにもこうにも自分のことがさっぱり分からなくなってしまった時期があった。


人は「ビリーフ」という思い込みに支配されている


私は昨年末から、コア・ビリーフセラピーなるものを学ぶ機会に恵まれている。ここで言う「ビリーフ」は英語の「belief」から来ているが、一般的に訳される「信念」「信仰」とは意味が少し違う。「思い込み」という言葉が最もしっくりくる。セラピーを学ぶ過程で教わったのは、人は誰しも真実とは異なり得る何かを信じているということだった。人は時に真実ではなく、信じたいものを信じるものだ、と。

その思い込みは当然、プラスにもマイナスにも左右する。「私はやればできるはずだ」と信じれば、現時点ではできない状態だとしても努力を続けて成し遂げられる可能性がある。「どうせ私なんてできないんだ」と思い込んでいると、本来は成し遂げる力があったとしても努力をしないから実現する可能性は低くなってしまう。要するにこのセラピーでは、マイナスに作用してしまうビリーフ(思い込み)を除去することが目的となる。そのようにマイナスに思い込んでしまう原因はたいてい、幼少期に他者から受けた言動。このような心の傷は、普段は潜在意識の中に閉じ込められていて認識しづらい。そこに直接アプローチするのがコア・ビリーフセラピーの大きな特徴だ。私はそれを学び、セラピストとしての活動をスタートし始めたばかり。

そこで先述した疑問が湧いてきた。人間の意識は潜在意識が90%以上を占めていることを考えると、今の私をつくり上げている意識は本当の私なのだろうか?と。私はどんな人間なのか。哲学的な話になるが、私が私だと認識できる根拠が分からなくなってしまったのだ。

心を正確に言語化するのは難しいけれど


そんな問いかけに悶々とする日々を送りながら、気づいたことがある。顕在意識の自分も、潜在意識の自分も、同じ私の中にあるものだからその思いが間違っているわけではない。私がどんな人間かをわざわざ定義しなくても、湧いてくるさまざまな思いをその都度吐き出せばよいではないか。

そう思うと、少し気が楽になる。ただしマイナスに作用しているビリーフ(思い込み)ももちろんたくさんあるだろうから、それはおいおい取り除いていけばよい(自分で自分にセラピーを施すことはできないので、誰かにお願いすることになるが)。

思えば、今まで私がライターとして行ってきた多くの仕事は「誰かが発した言葉を再構成して読み物にする」ことだった。自分の心の中を書いたことはほとんどなかった。そして、「これほど難しいことはない」と実感している。自分のことは自分が一番よく分かるはずが、それを言葉にして正確に表現することが最も難しい。決められた落とし所やテーマのない文章を書くことのハードルの高さを知ると同時に、エッセイストの方々の筆力を痛感する。

私の性質や考え方を表すどんな言葉もただの一側面で、私はどんな人間なのかを正確に表す表現はまだ見つからない。でも今はそれでいい。見つかるか見つからないかが大事なのではなく、向き合い続けることに意味があるのだろう。そう信じて、この文章を書いている。

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