エッセイ【創作大賞あとがき&振り返り】
はじめに
実はnoteのアカウントを2つ持っている。
もう一つは【なつき希の別宅】という名前で置いているけど、そろそろこちらのアカウントだけに絞ろうと思っているところ。
どのくらい前からnoteを書いていたんだろうと残っていた古い記事を見返したら6年前だった。
「彼との平成最後の夏」というエモいタイトルのエッセイが残っていた。
(純粋に恥ずぃ)
書いたり書かなかったりで放置されていたアカウントを引っ張り出したのが、昨年末あたりだった。
急に書きたい欲が再燃した。体に留まっていた何かが噴き出すように「伝えたい」が爆発した。
そして、改めて名前を決め(夫に本名をもじって考えてもらった)、新しいアカウントを作り書くことに向き合うことにした。
毎日noteを開くようになり、素敵な出会いがたくさんあった。
私に「書いて広める」の背中を押してくれた本田すのうさん
すのうさんをきっかけに出会えた人たちがいる。
好きなモノ・コトが似ている気配しかしない青空ちくわさん
そして
今回この企画の立案者で同世代で共に生きる仲間 みくまゆたんさん
好きなnoterさんを辿ると好きしか出てこないので非常に困っている。
読むのが追いつかない。
この企画でさらに「読みたい!!!」を発見できた。
「#創作大賞2024あとがき集」を辿ったら出会えた方々。
(ご挨拶もしていないのにリンク貼ってすみません)
自分自身の振り返りにもなるし、皆さんのあとがきも読めるし、新しい出会いまで提供してくれる企画。
最高。
意気込めるほどのスキルはない
実をいうと創作大賞に応募したのは初めてじゃない。
以前、応募したときは他のタグと同じくらいの熱量で「つけとこ〜」みたいなノリだった。
今思えば本当に、真剣に向き合っている方々に申し訳なくなるほどのテンションでポチッとつけていた。
私自身がnoteに対してグッと気持ちを注ぎ混み始めた頃に今年の創作大賞が始まった。
皆さんの意気込みをたくさん読んだ。
言い方が悪いが〝引くほど〟熱かった。
創作大賞についてのハウツーnoteも多く、過去の自分のポチッとテンションが恥ずかしくなった。
私もそこに行きたいと思ってしまった。
完全に熱気にあてられた。
でも、私にはまだそこまでのスキルがない。
だけど、だけど
片足でも、片足のつま先でもいいからその熱気の渦に触れてみたい。
今の私が書けることを書いて、とりあえず(←良い意味で)応募してみることにした。
しか書けない
私はエッセイを書いている。
いや、エッセイしか書けないと言った方が良いかもしれない。
「書き続けているもの〜なぜ私は書くのか〜」は、藤原華さんが企画しているnoteコンテスト「なぜ、私は書くのか」に応募したものだ。
最初に『急に書きたい欲が再燃した。体に留まっていた何かが噴き出すように「伝えたい」が爆発した。』と言ったが、「なぜ、私は書くのか」を書いていて気づいたことがあった。
私は二十数年間、福祉職に就いていた。
就いていた仕事はひとつではなく、生活支援員や病院の清掃(身体介助だと思ったら清掃業だった。でも、とても勉強になった仕事)、保育士の産休代替、公立小学校での介助員、支援員などいろんな福祉をやってきた。
余談だが、「福祉」ってどういう意味だか知っているだろうか。
「福祉」とは「幸せ」という意味であり、すべての人が安定して安心した生活を送れるようにすることを指す。
余談はさておき
自分の生き方を考えると、私は誰かの支えになることに自分の存在意義を見出していたのだと思う。
気づいたら、仕事関係なく生きながら「福祉」をしようとしていた気がする。
悩める人がいるならば話を聞きたい、困る人がいるならば手を差し出したい、そうしながら生きてきた。
それが私にとっての「当たり前」だった。
私はこれから書くことでそれをしようとしているんだと気づいた。
ここにあげた4本は私が自分の人生を切り取ってでも誰かに伝えたいと思っていることだった。
私は自分で言うのもなんだが、なかなか濃い人生を歩いてきた。
正直、思うようにいかないことばかりだった。
本当によくこの年まで生きていたなと思うし、今幸せなことに心から感謝している。
私の経験は、私の経験でしかない。
でも、人生という辞書があるとしたら「悲しさ」や「痛み」「幸せ」や「愛」の事例のひとつとして誰かの心にちょっと残ってくれたら嬉しいと思う。
「そう言えば、私と似た経験をしたあんな人いたな」とか「あの人も結果幸せになってたな」とか何かのタイミングでふっと思い出して、私の経験が誰かの動き出すきっかけになったら嬉しい。
だから、私はエッセイしか書けない。