『アタラクシア』これからもどうしようもない人たちを書いていく
芥川賞授賞式で金原ひとみを初めて知った時、衝撃が走った。同時受賞の綿矢りさも同等に驚いたが、彼女は美しさの中に文学好きそうな内向さが現れており、作家ってこういう人だよねと安心もした。金原ひとみは違った。明るく染めた髪やピアスやとがった服装。そしてそれがとても似合っていて、ちょっと沢尻エリカのように今にも「別に」とか言いだしそうであった。学校に通っていない不登校ながら「友達とカラオケに行ったりはしてた」と公言したり、父親が大学教授で家に本を置いていたが決して読めとは言われなかったと話していたりと、ともかく全てが想像の上を行くファンタジーを超えた存在であった。『蛇にピアス』は題材もあって今いち乗れなかった。ともかく痛そう。
大人になるにつれ恋愛や仕事や結婚や子育てで本がほとんど読めなくなり、彼女の作品を読むことはなくなった。どんな作品を書いているかもぼんやりとしか知らなかった。先日の読書会でたまたま紹介された一冊が『アタラクシア』だった。コピーにある「望んで結婚したのになぜこんなに苦しいのだろう」が心に残り貸してもらった。わたし自身の結婚生活に安定と穏やかさに包まれておりとくに苦しくはないのだが、そういった知人友人の話をたくさん聞いていたので結婚そのものへの疑問は常にあったからだ。
オムニバス形式で語られる複数の登場人物から物語が紡がれていく。出てくる人々はみなどこかいびつで少し不気味だ。ただ表面的にみたらこんな人どこにでもいるだろうなというさり気なさなのだ。むしろモデルをしていた翻訳家の主人公はきっと素敵女子だし、夫は作家でイケメンではないかもしれないがスマート。関係を持っているシェフはソフトで腕がたつ男性で、その同僚はきちんと仕事も家庭もこなすワーママである。主人公の友人の編集者もきっと優秀で素敵な女性だし、その不倫相手も爽やかで優しく色気のある男性である。主人公の妹が唯一破天荒に見えるが彼女が一番純粋なような気もする。きっとこんな人々は世の中に溢れていて、おかしいと思っている自分自身もまわりからみればどこかおかしい、クレイジーな部分はあるのだろう。後半に行くに連れて物語が動きだし登場人物たちが緩やかに繋がり交流を持っていくなか事件は起こる。『蛇にピアス』を読んだときの衝撃を思い出し懐かしくなった。誰も成長しないし自分を振り返ったり罪の意識にさいなまれたりしない。皆必死に生きている。
これは彼女がインタビューで語っていた言葉だ。わかるよ、わたしも学問で書きたいのはどうしようもない人たちなのだ。彼女は憑依型と他のインタビューで語っているが性暴力や痛いシーンも多いこの小説を書くのは、どんなに苦しかったことだろうか。生きづらさをずっと抱えながら彼女は10代から真摯に小説に向き合い実直に書き続け、その間に結婚し子どもを育てそしてずっと今も書き続けている。その姿勢にとても励まされる。
どうしようもない人たちに向き合う彼女の視線はとても優しく暖かだ。そして最後に文学賞の新人賞応募者へ向けてのこのメッセージをどこかSNSで見かけて、とても嬉しくなった。小説は一部の人が書く特別なものでは決してないという彼女の強い思いがこの短いメッセージに現われていて、思わず小説を書きたくなってしまったのはきっとわたしだけではないだろう。