困難校での美術教育実践④〜鑑賞授業編〜
書籍「ケーキの切れない非行少年達」を知る多くの人が、「3等分出来ていない円」や「模写出来ていない図形」にショックを受けたのではないでしょうか。
あの絵がキャッチーなアイコンとして話題を集めたのは、彼らの認知能力が「可視化」されたからに他なりません。
教育困難校での勤務時に出会った生徒達の中には、正に指摘されたような絵を描き、認知機能に課題を持つ者が多く見られました。
美術は認知(鑑賞)と可視化(表現)の教科です。
今回は鑑賞を通して認知の範囲を広げるための取り組みについて紹介します。
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鑑賞の題材
困難校の生徒達は、内容に関心がなければ割と平気で「やらない」「寝る」選択を取ってしまう。
なんとかそこを回避して、スタートラインに立ってもらわなくてはならない。
じゃあ題材は?
名画?映画?絵本?NHK教育?だめだ絶対寝るわ…
少なくとも私の実力では彼らを寝かせない鑑賞授業をする自信がない。
私の結論は作品制作後の相互鑑賞だ。
相互鑑賞にはいくつかの利点がある。
まず、興味を持ちやすい。
知らない時代と土地の知らない人の作品より、同じクラスの誰かの作品の方がとっかかりやすい。
自分と比較して考えやすい。
同じ課題、同じ時間、同じ画材で制作していると、何処を見るべきか必然的に分かる。
「自分には思いつかなかったな」「こんなに綺麗に塗るのは大変だっただろうな」
人の作品と比べることで、同時に自分の作品も客観的に鑑賞し、反省することが出来る。
〆切を守れるようになる。
「来週、みんなの作品をモニターに写して紹介する回だよ。完成してない人は放課後来て間に合わせなさいよ」と言っておくと何だかんだ結構やりに来る。
未完成でもそのまま相互鑑賞を強行するので、クラスメイト全員に見られることが分かっていると、未完成や余りにも雑なものを出してこない。
相互鑑賞は講評ではない。
年度が終わる頃には多くの生徒が相互鑑賞を楽しみにするようになった。
しかし最初は「えー!やだ!!」「作品を見られたくない」と言う生徒も多かった。
本当は、見られたくないんじゃなくて、「嫌なこと言われるのが怖い」「頑張りを認められないのが怖い」「個人への意地悪の理由にされるかもしれない」。
本当は、頑張りを見て褒めて欲しいし、他の生徒の作品も気になる。
じゃあ怖いことを極力減らして、なるべく楽しいところだけやっていこう。
教科のテストの解答用紙が張り出される事があるか?いや無い。
そんな暴挙が許されるのはコンクールか美大くらいだ。
なんなら、美術教員の中には、過去の講評に対して許さんという気持ちを抱えている人もいるだろう。
そういう体験があると相互鑑賞に躊躇するのも頷ける。
相互鑑賞と講評は全く別のものという意識が必要だ。
たのしい相互鑑賞のススメ。
名前を出さない。発表もさせない。
「名前出さへんし、発表もせんでええよ。私がみんなの作品を紹介するだけだよ。」
と言うと大体安心して、「なあんだ〜でも何言われるんやろ。」となんだかちょっと楽しみそうにしはじめる。
生徒の作品は「参考作品A〜z」で良い。
スキャンして名前部分が切れるようにスライドに入れて適当に並べ替えてアルファベットを振る。
まあ、名前を伏せていても「俺の来た!!」と喜んでアピールする生徒もいるがそれはご愛嬌。君がええならええよ。
個人に発表をさせると、時間管理が大変な上に、鑑賞が発表の優劣や内容に引っ張られてしまう。
作品に集中してもらう為にも全て教員がテンポよく紹介していく。
紹介は褒めどころのみ。
「評価」ではなく「見どころの紹介」「鑑賞の手助け」として話すのでわざわざできていない部分をとりただす必要はない。
未完成だろうが課題違反だろうが捻り出して全員分褒めちゃう。(「今回の課題としては評価できないけど…」と前置きはする)
皆の前で褒められた経験が後のモチベーションにつながる。
生徒同士での感想のやり取りをしない。
鑑賞は自由だ。人の目を気にすると窮屈になって顔色を窺ったことしか言えなくなる。困難校では尚更だ。
鑑賞の内容は発表も交換もしない。観賞用のプリントに書いて回収して、チェック後、返却する。
面白い視点のものは返却時に紹介することもある。
認知には語彙が必要。
「すごい」「えぐい」「やばい」「うまい」酷いもんである。
…何にでも当てはまる万能の言葉を雑に乱発するな。
いや、4種類出てきただけでも上等か。
せめて「かっこいい」「かわいい」くらいは出して欲しいが、どうもなかなか出てこない。
感じた事を言葉に出来なければ、感覚を留めて自分のものにする事は出来ない。
存在しない語彙では思考できない。
(認知科学の立場では言葉が無ければ感じる事さえ出来ないと言う主張もある。)
ならば語彙を与えるところから始めよう。
見どころ紹介という形でとにかく語る。
50分授業で前置きや説明を抜くと1作品当たり1分程度。10秒と黙らずにノンストップで語りまくる。
色の組み合わせや構成等の授業内容に言及した部分から、「お菓子のパッケージみたい。」「音楽なら〇〇みたいな雰囲気。」「早い動きのイメージ。」「アメコミっぽいよね。」とか。
とにかくいろんな角度で言葉にしながら生徒達と一緒に鑑賞をする。
私の言った事で「たしかに」「なるほど」と思ったらそのままプリントに書いていいよと伝えておく。
勿論、「ちゃうやろ」と思った事で書いてもいい。
すると私の放った言葉をつかまえて、自分の思考の一部にできる。
鑑賞の評価
量を評価する宣言をする。
下手くそでもしょーもない事でも量を出させる。
量を書こうとすると、自ずと語彙の不足に突き当たる。
流石に「うまい」や「すごい」だけで5回も使い回せない事に気がつくのだ。
量を書くには語彙が必要で、語彙のバリエーションを使うには、作品の違いを探して鑑賞する必要が出てくる。
言葉を並べるにつれ、段々と観察に捻りが出てくる。
作文不要。箇条書きや単語でOK。
文章を書くことに苦手意識を持つ生徒は多い。
かくいう私もあまり得意ではないので、今まさにコピペで何度も前後を入れ替えてなんとか整えている。
文章を作ることより、作品を見ること、考えること、書き留めることに意識を使うよう促す。
具体的に書く。
「みんな違って良かった。みんな凄かった。上手かった。」そんなん見てなくても書けるんだわ。
どんな色が使われていた?どんな形が使われていた?
もはや事実の羅列のみでもいい。
本のあらすじで文字数を稼ぐ読書感想文みたいな真似大歓迎。
文→文と絵→文の変換では意味合いが全く違う。
「こんなところまでよく見たよ!気づいてるよ!」のアピールをしっかりするように言い含める。
具体的に書くためには漫然と見ている訳にはいかない。
それぞれの作品に注目して具体的に見る必要が出てくる。
今回は鑑賞授業の工夫についての実践をまとめました。
次回の表現授業編。で一通り完成の予定です。
あくまで一例とはなりますが何かしらのお役に立てる事を願っています。
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