無自覚な連帯責任のおそろしさ
こんばんは
読んでいただきありがとうございます。
高知で私立学校教員をしている「のざたん」です。
どんな学校であっても「ICTを推進ではなく、当たり前に」なってほしいと感じて、活動を始めています。理由はいろいろあるんですが、過去の記事を参考にしていただければ幸いです。
基本姿勢はこちら
最初から、教師の思い通りに行くはずもないわけですよ。そこが大事。
必要なのは「覚悟」だけ。ある程度のカオスは生じますよ。
決して、「必要じゃないものを見てる児童生徒がいたらクラスで利用を禁止します」といった、連帯責任ののルールはしないでください。もう最悪ですから。
最悪である2つの点
1つは、調べて欲しいもの(先生の欲しい答え)が決まっているんだったら、先生が調べればいいじゃんとなる。なので、調べる意欲もそがれ、メンドクサイから調べてよマインドとなってしまいます。
もう1つは、全体が禁止となった場合の、怒りの矛先がルールをやぶった児童生徒に向く。
こっちは、最悪な状態です。連帯責任ってなんですか?子どもたちの学ぶ権利を阻害するわけです。
ルールを守る大切さが…
とか、いいます。学校でよくあるヤツです。
でも、よく考えてください。ルールを守らなかった個人がまずは問題であるはずで。そのルールを守らなかった個人にペナルティがあるならまだ理解できますけど。なぜ、全体なのかと。
「ルールを守ってない子どもたちに注意をしなかった、クラス全体も悪いんで…」とか、先生って発言しそうですよね。でもね、教室の責任はその場を受け持つ教員にあるでしょ?なんで、あなたのaccountabilityはないのだねと。
児童生徒にICT機器を使わせないことで、唯一不利益を被らないのではないですか?子どもたちの学ぶ権利を阻害しているにもかかわらず、ルールを守ることが大切ですとよく言えたもんだなと。。。
無自覚なレッテル貼りの構造づくり
この連帯責任って、子どもたちの間でレッテルの貼り合いを始めます。「自分たちがICTを使えなくなったのは、あのルールを守らなかった○○のせいだ!!!」となるわけです。
あまりにも無自覚な大人は「だって、そうでしょ?原因を作ったのはルールをやぶった彼らなんだから・・・」と言ってしまうんです。落ち着いて、よーく考えてください。「原因を作っているのは連帯責任と言っているあなたですよ」
ルールを守らなかった人自身は悪いですが、それは使うことに対してのルールであり、そこは個々に定めればいいわけですよね。
でも、連帯責任として、全体が使えなくすることは必要ですか?そこまでの禁止は本当に必要ですか?全体が使えなくなった責任を、ルールを破った子どもたちにだけ押し付け、全体が使えなくすると決めた大人は安全地帯に逃げてはいませんか?
自分に矛先を向けない構造づくり
教員の言う「連帯責任」って、自分1人が安全地帯に逃げ込み、問題が発生したグループ内に悪者を仕立てて、全体をコントロールしてるのかなと感じています。さも、当然かのように、「誰かがルールをやぶったから、全体で禁止します」って少なからず学校ムラで行われてます。
よく考えたら、教員の言う「連帯責任」には、そうすると決めた教員は含まれてないですよね。責任を取らないどれだけ弱い大人なのかと感じます。
そんなことを見たり・聞いたりしたら、少しでも減らしていくためにも、丁寧にモノを見続ける大人としての教員を続けていかないとな。
教員や学校周りの関係の方が「連帯責任」という言葉を聞いたら「それは、あなたがもっとも無責任で、無自覚に争いごとを作ってますよ」と伝えてもらえたら幸いです。
いただいたサポートは、誰でも教員と会って話せる『会いに行けるセンセイ』の活動に利用させていただきます。