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「学び」の「場」の挑戦をし続けたい

noteのフォロワーさんが1500名を越えまして、ありがたい限りです。勤務先の学校が、期末試験は行ったので、成績処理やらなにやらでドタバタしてましたが、また通常運転に戻します。学習指導要領の続きはちょっと小休止しまして、自分のことを。

前書き

これは、完全な私信です。ホントはここに書く内容を生徒みんなに伝えたかったのですが、コロナ騒動からの休校措置で、話す機会もなくなったし、まぁそれはそれでこの現状を楽しみましょうということで、読んでいただければ幸いです。

この前書きってなんだ?よくわかんない?って方は、読んで戻ってくるとわかる仕組みです。ボクに興味が無ければ、それまでだし、興味を持っても文字を読んでもらえなければ、伝えきれないし。なので、冷たいですが、文章を読める人にだけでも伝われば幸いです。

何が起こったのか

経済産業省「未来の教室事業」HeroMakersを通じて、自分の考え方と行動の変化が起こりました。夏に行ったブートキャンプから、その後のオンラインミーティングの嵐。自分も生徒も「もっと自由にするにはどうしたらいいのか」ということを半年にわたって考え続けてました。今回の一件は、これがキッカケであることは間違いありません。

これまでの私(HeroMakers前)

首都圏において、いわゆる進学校を卒業し、教員養成系大学を卒業・教員免許を取得後、学校や企業で勤務したのちに、高知に移住しました。現在教員をしています。

企業に勤めていたころ、学校ではできないであろう新しい学びを提供するために新規事業を立ち上げて、企画運営を行っていました。働き方も企業がフレックスタイム制を取っていたため、ある程度は裁量のある働き方をしてました。

地方の学校現場で働くことになり、それまでとは異なる不自由を感じながらも「学校はこういうものか」と自分に言い聞かせながら、あまりにも不都合に感じる部分についてのみ異を唱えてきました。心のどこかで「まぁ、仕方ないか、学校だもの」と黙って仕事をしてたわけです。

というものの、学校外へ飛び出ていくタイプではあり、教育に関係する・しないに関わらず、組織を越えた知人が増えつづけていました。

特に、こうした学校の枠組みを越えた活動を行うということについては、

『学校外におけるコミュニケーションにより人とのつながりが増えることで、学校の広報活動・課外活動に有効であること』

『情報のリソースを確保することによって学校内での自らの価値の向上すること』

『学校外における「教員」という職業の人物が貴重であり学校外でも活動したいと考えていた自分にとってブルーオーシャンであること』

といった認識があり、これらのことに気が付けてるのは、企業での経験があるからであり、学校の外への出方を知っているから、教員っぽくない異端な教師と評されるのだろうと、勝手に思い込んでいました。どこかで、いわゆる教員ってそういうことをしない人たちとも思い込んでました。

これらは、完全に思い込みであり、見つけられない・出会えないものであったということを気づかせてくれたのが、HeroMakers だったのです。

HeroMakers BOOTCAMP

全ては白川寧々(ねね)の存在。彼女の存在なしでは現在の自分の在り方は説明ができない。

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の存在は「ねねみそ本」で知っていた。(現在、無料お試し版の配信中)

「異端x先生の化学反応で起こす、思い込みの壁壊しパーティ」と掲げられた教員養成プログラム。これは、自分にためになることしかないだろうと確信していた。また、事前のオンラインミーティングにおいて、名物先生とかの単なるヒーロー養成講座ではなく、HeroMakerでありヒーローを生み出す側の養成講座だとねねが言い切っていたことに共感をし、楽しみに参加をしました。

当日、最初の印象は「圧倒的なねねの存在感」でしかなかった。自由にかつ論理的に学校を否定していくわけでし。異端児である自覚があった私にとっては、耳はイタイのだが、痛快でしかなかった。

学校の闇・触れてはいけないとされている部分に対して「こういう話をしてよかった」ことを思い出させてくれた瞬間だった。学校の闇の部分を切り込んでいく(切り刻んでいく)姿を見ていて、心の底から笑っていました。あとで、「のざたーん、爆笑しすぎ」とねねから指摘されたのはいい思い出でしかないわけです。

BootCamp自体は、非常に大変な(いい意味で「悪夢のような」)3日間だった。英語を使って、自分と向き合うことに迫られる時間。自分がどうありたいのかを考えることは、教員をしている際には無い経験だった。どちらかといえば、ハードな企業研修や集中して新規事業を立ち上げる企画会議みたいな印象。それのどれよりも、頭がしんどかった。「アントレプレナーシップって、学校に必要なの?」という疑問が無かったわけではないが、参加したらそんな疑問は吹き飛ばされた。「自分のありたい姿を絞り出す作業」こそが大切であり、学校にいま一番必要とされてるものだと再認識していったわけです。

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また、自己開示しながら、周囲の参加者と教育に関わる意見交流ができる機会は、教育界で孤独を感じていた私にとってはありがたい場でもあった。教育界のイノベーターは2.5%程度、アーリーアダプターを含めても16%程度は存在すると感じてはいた。しかし、学校間で分断されており、教員のみの研修では、その部分は隠されるため、出会うことが少ないわけで。とくに地方においては出会える数が圧倒的に少ない。そのなかで、全ての参加者がBootCampを終えた後も交流できる間柄であること自体が、この HeroMakers BootCamp の意義だったように振り返っています。

もう一度、あのBootCampをしたいか?と問われたら、正直「うーん」と悩んでしまう。それぐらい、頭がしんどい。逆にいえば、どれだけ教員って仕事をしてて、頭を使ってなかったんだろうって振り返らせてくれた。

未来の先生展

ねねがBootCampの最中に、「展示物としての先生として、pitchしたくない?」ってアナウンスをしてくれたのも1つの転機だった。というのも、地方在住の異端な教員としては、外に出ていく機会がほぼ無いわけです。地方の教員の世界であるのは、素晴らしい(とされる)授業実践例や学校の取り組みをもったモノだけに開かれるチャンスだけ(そんなもの、ボクは1ミリも欲していない)

教育とは直接関係がないと思われるような活動をプレゼンできる機会を得られたことで、私自身の活動を振り返ることができた。更に、HeroMakersの東の参加者と出会えたこともいい機会であった。特に、現役の高校生がプレゼンしている様子は、教員として刺激を受けるきっかけとなったし、彼らのように活躍できる場を地方にも実装していかなきゃいけないと思うようになっていったわけ。

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プレゼンの資料として、「教員の妄想としてのモンスターペアレント像」をこんなのにして、ワイワイしている教員が世の中にいるってことを表現できたのは、自分にとってよかったなーって。これぐらいインパクトあるプレゼンしておかないといけないよって、生徒に言えるようにもね。

オンラインミーティング

今ではコロナ騒動でおなじみになっているオンラインミーティングです。が、毎週のようにzoomを通じて全国のメンバーとミーティングが行えたことは、惰性で過ごしていた教員生活にメリハリを与えてくれるものになっていたわけです。

学校で自分自身のあり方を考え直すキッカケにもなり、「こうありたい」という自分像をアップデートしながら、学校(勤務先)での行動の1つ1つを振り返っていた。学校に対してのズレを是正しようと提案をしきりに行っていて疲れなかったわけではないが、HeroMakersのメンバーとやりとりをすることで、「まぁ、仕方ないか、学校だもの」と諦めるのをやめるようになっていた。当たり前のことを当たり前に取り組みたいだけですが、いわゆる学校というところはそういう感じではないようだということもよくわかった。

Tosa Educator's Guild(TEG)の設立

自分のありたい姿を検討するなかで「高知県のおもろい先生および教育関係者やそれに関わる人たちのゆるい組織」を設立することにした。推進役となる仲間がいることに気づき、co-founderとなってもらい、後押しをしてくれた。こうしたメンバーを振り返って探すことをさせてくれたのも、間違いなくHeroMakersのおかげである。

TEGで行うこととしては、メンバーが子どもや保護者や同業者の困りごと相談を受ける「よろず相談所」や、学校という組織の枠を越えて情報共有をする「学校のお困りごと相談所」のような場をオンラインを中心にした組織体を社会に実装することで、何かが変わっていくのだろうと考えている。教育界のイノベーターが出会えるプラットフォームがあることで、教員同士もしくは教員と社会人との化学反応が起こることを期待してのことだった。

設立後、ミーティングやMost Likely To Succeedの上映会を行うことで、オフラインで活動を行うメンバーが集まりが広がってきた。学校にイベントを持ち込みたい社会人や、高校生とつながりを求める学生を見つけることができるようになった。

これからの私

学校外でのつながりを大切にすることは引き続き行っていたため、私自身が省庁関係者と出会う機会を得ることができました。年末に発表されたGIGAスクール構想について発信することをキッカケ(「#ぜんぶGIGAのせいだ」で検索すると、私がヒットするようになってるようで…)になり、SNS上を中心として自身の発信力を伸ばしている。TEGにもIT関連のかたが多数参加してくれており、関係各所の方々から意見を交わせる人材となりつつある(はず)。ちょっとずつではあるが、「話してくれませんか?」みたいな案件がやってくるようになっています。(いつでも喜んでいきます)

いわゆる教員という小さな枠組みにとらわれることなく、社会とつながった教員としての自らがありたい姿に近づけている。高知市内にあるスタートアップ支援の場(KochiStartupBASE)において、保護者と教員の交流する会を定期的に行う予定を計画しており、3月から開催予定である。また、定期的に保護者と実際の教員であるボクが気軽に会える場の提供も計画中である。もちろん、中高生が社会と繋がるための場も計画している。学校外の気軽な職員室的なものができればいいなと。

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なお、これらの取り組みが評価され、既存の教育ではできなかったことをチャレンジしようとするメンバーが集まり、生徒が在りたい自分でいられる学びの場、HeroMakersを実践できる学びの場を、とある高知の学校で設計するために4月から仕事のフィールドを移します。もちろん、海外進学を見据えたものであり、全ての教科において英語で授業ができないだろうかと考えているところです。

感謝の言葉しかない

生徒たちに、こういった話を伝えることができなかったのは、申し訳ないなと振り返っています。だから文章にして述べています。決して、学校がイヤだとか、生徒たちがイヤだとかではないです。ただただ、自分がもっとチャレンジしたかったのと、自分の在りたい姿に近づけるにはどうしたらいいのかと判断したわけです。最後まで、生徒の表情がよぎって悩んでたのは間違いないですし、校長先生からも「生徒のことをホントよく見てるよね」と評されてるぐらい、ボクは生徒のことを観察していた自信はあります。

ボク自身は、何度も職場を変えているわけで、場所を移すことはあんまり気にしてないし、もはや所属がどーのこーのの時代ではないと感じているのですが、生徒たちにとってはちょっとしたショックですよね。そのあたりの配慮は足りてなかったな。ゴメンナサイ。

ただ、僕一人が学校からいなくなったところで、みなさんはしっかりやっていけるはず。困って困ってどうしようもなくなったら、思い出して見つけていただければ、手は差し伸べます。いつものように「ふーん」って話を聞くぐらいですけど。ボクにできることは、みんなの話を聞くだけですから。

最後に

ボクが学校からいなくなることを聞きつけた生徒が言ってくれた言葉が心に響いているので書き残させてもらいます。「先生が、やりたいって考えてることがあるんでしょ?それを止める権利もなしい、仕方ないんだけどさ…」って。話している様子を見ると、寂しいというか、ショックというか、動揺しているんだけど、堪えて言ってくれるんだよね。生徒たちからは、学ぶことが多すぎて感謝しかなくて。授業の担当でもないのに、質問にわざわざ足を運んできてくれる生徒たちがいてくれたのは、嬉しい限りです。話しかけてくれる様子から、ボクのほうが多くのことを学ばせてもらってました。あなたたちに出会えたことに感謝をしています。

彼らにも評価してもらえるぐらいじゃないといけないですね。これからの活動は中途半端ではダメですね。「ボクらはのざたんを知っている」と誇ってもらえるような活動を。これからの教育の激動の時代の一歩を。まずは自分のために。次世代のHeroのために。姿を見つけてもらって、ロールモデルになれるように。

いただいたサポートは、誰でも教員と会って話せる『会いに行けるセンセイ』の活動に利用させていただきます。