おうちで読もう百人一首 第6作 新人女房・伊勢大輔「がんばります!」
知らないからできること
「おうちで読もう百人一首 格闘記」 を読んで、しみじみと振り返っている、金子とのざわ。こんなに大変だって知らないから、始められたんだよねー。そだねー。
第6作伊勢大輔は、就職活動に頑張っている学生たちにエールを送りたくて作った作品。映像を見て「わたしも服装に注意します」と感想を書いた学生もいる。作品世界に入り込んでくれたんだね。
伊勢大輔の先輩たち
伊勢大輔がお仕えしたのは、藤原道長の娘の中宮彰子。彰子にお仕えする最も有名な女房は紫式部で、その紫式部が尊敬するのが、赤染衛門(『紫式部日記』参照)ということで、映像ではこの二人に登場してもらった。
伊勢大輔の個人歌集(家集)は何種類か伝わっていて、詞書①によると、八重桜を中宮彰子に贈ったのは奈良の扶公僧都、興福寺の僧である。詞書②によると、紫式部が「今年の受け取り役は新人にまかせたわ」(=今年のとりいれ人は今参りぞ)と伊勢大輔に役を譲っている。
伊勢大輔は、八重桜をただ受けとればいいのではなく、場面にぴったりの歌を詠まなくてはならない。
和歌の重代
代々の歌人が勅撰集に入集している家は「重代」と呼ばれる特別な存在だった。伊勢大輔の曾祖父は大中臣頼基、祖父は能宣、父は輔親、3人とも勅撰集に入集しており、特に祖父は後撰集撰者。勅撰集の撰者は和歌界では「どなたと心得る、勅撰集の撰者であらせられるぞ」という存在だ。
伊勢大輔は、和歌の実力を期待されて出仕し、「じっちゃん能宣の名にかけて」すばらしい和歌を披露した!
伊勢大輔のキャラクター
わたしが「和歌」が好きな理由、作者の言葉を直接聞けるような気がすること。
こちらも有名な和泉式部、彼女も中宮彰子の女房である。ただし初出仕は伊勢大輔の翌年。和泉式部はセレブ兄弟(為尊親王・敦道親王)との恋愛で世間の注目を集めた。愛する人との死別を詠んだ歌はすばらしく、歌人としての評価はとても高かった。
和泉式部が初出仕したとき、伊勢大輔は和泉式部と話をするよう中宮に言われ、原文では「はづかしき人にこそさぶらふなれ、いかでか」とこたえている。「はづかし」は、「相手に比べて自分が劣っていることを意識する場合に抱く心情(日本国語大辞典)」どうやら、相手の和泉式部のほうが歌の実力がまさっていると、伊勢大輔は思っていて、え~どうしよう~困ります~、などと言っているが、一晩中あこがれの和泉式部とおしゃべりして、中宮に「思はむとおもひし人とおもひしにおもひしこともおもほゆるかな」と報告している。この和歌は直訳しても意味が伝わらないので、大意をとると、「和泉式部はずっとあこがれていた人でしたが、想像していたよりずっと素敵な方でした」。興奮して詠んでいますね。
(詞書の現代語訳)
和泉式部が、上東門院彰子さまに初めて出仕したとき、「お話してきなさい」とおっしゃったので、「すばらしい歌を詠むかたなので緊張してしまって、とても無理です」などと申しましたが、夜が明けるまでずっとお話をして、翌朝、彰子さまにおとどけした歌
あこがれの人に会って、どきどきしながら一生懸命おしゃべりしている伊勢大輔、かわいい人ですねえ。よきかな。
宮中の通り名
宮中に出仕することになった女房は通り名を使う。伊勢大輔の家は代々伊勢神宮の神職を務めていたので、伊勢大輔と名のった。
ちょっと脱線すると、平安時代の女性は、邸の中だけで生活するのであれば、大君・中の君・三の君・四の君と年齢順に呼べば、それで事足りる。しかし宮中でお勤めするとなれば、そのままでは大君・中の君だらけで、誰がだれやらとなってしまうので、女房名を決めるわけ。父親や夫の赴任地をそのまま女房名にするケース、父親や夫の官職名をつかうケースなどがある。百人一首の女房たちもいろいろな通り名を名のっていますよね。
和歌がうけるボイント
和歌が評判になる3つのポイント。すばやく詠む。その場にあるものを詠む。掛詞、縁語などの技巧を使う。伊勢大輔の歌はすべての要素を完璧に満たしていて、調べも美しかったので、〈たいへんよくできました〉の最高評価をいただいた。イェイ!
硯と高級和紙
光琳かるたの取り札には、八重桜のほかに硯箱と和紙が描かれている。
歌学書の『袋草紙』(藤原清輔著)に、伊勢大輔は和歌を詠むよう言われて、硯を引き寄せ、墨をするわずかな間に「いにしへの」の歌を書いたとあるので、その場面を絵にしたようだ。
(袋草紙の現代語訳)
伊勢大輔は、上東門院が中宮のとき、初めて出仕した。輔親の娘である。いい歌を詠むだろうと、期待なさっていたところちょうど、八重桜を、ある人が献上した。道長も中宮の御前にいらっしゃる時で、その花の枝を伊勢大輔のもとに運ばせて、硯の上に上質の和紙を置いて、同じように運ばせた。人々は注目してどのような歌を詠むのだろうかとみていると、わずかな時をおいて硯を引き寄せ、墨をとって静かにすり、歌を書いてこれを差し上げた。
いにしへの奈良のみやこの…(略)
道長の殿をはじめ、すべての人が感嘆し、宮中はどよめいたという。