絵で読む『源氏物語』これはどんな場面~源氏物語絵色紙帖 絵合
藤壺中宮のご意向
男性著者の本を読んでいると、『源氏物語』の澪標巻、絵合巻あたりで、可憐だった藤壺さまが政治家になってしまったと嘆いていて、そのように感じるのかと興味深いです。
藤壺中宮は、亡き六条御息所の娘の、前斎宮の入内を望みます。権中納言〈もとの、頭中将〉の娘がすでに入内していて(弘徽殿女御)、帝ととても仲がよいのですが、年齢が帝と変わらないので「雛遊び」のよう。年上で、しっかりした前斎宮に、帝のおそばについていてほしいと考えたからでした。
伊勢斎宮は帝の代替わりのたびに交替するので、冷泉帝の即位によって、前斎宮は、同行した母、六条御息所とともに帰京していました。
朱雀院が在位中に、前斎宮は宮中に上って伊勢下向のあいさつをしました。院はその時からずっと恋しく思っていて、帰京した前斎宮に、院の御所に来るよう誘っています。ところが、藤壺中宮は「院がおそばに置きたいとお思いになっていることは、ほんとうに恐れ多くお気の毒ではございますが、六条御息所のご遺言を口実に、知らん顔をして帝に入内させなさいませ」(院にも思さむことは、げにかたじけなういとほしかるべけれど、かの御遺言をかこちて、知らず顔にて参らせたてまつりたまへかしー澪標巻)と源氏の君に言います。
我が子の冷泉帝を思ってのことですが、「知らず顔にて」と言うのは、たしかに"政治家"っぽいですね。
斎宮女御(梅壺)と弘徽殿女御
絵合巻で、前斎宮が入内、梅壺に住みますが(斎宮の女御)、帝が親しみを感じていたのは弘徽殿女御でした。
ところが、しだいに帝が斎宮女御のお部屋を訪れることが多くなります。
帝は、いろいろある中で、とくに絵をおもしろいものとお思いになっている。取り立てて好んでいらっしゃるからであろうか、並ぶ人がいないほど上手にお描きになる。斎宮の女御もとてもお上手にお描きになるので、こちらに心が移って、いつもお部屋にお出ましになっては、二人でお話をしながら描いていらっしゃる。帝は、お仕えしている若い殿上人の中でも、絵を上手く描く人がお気に入りなので、ましてや、美しいお姿で、画才に優れていて、さっと筆を走らせ、並んで横になって生き生きと、こうかな、ああかなと、筆を止めて考えているご様子を見ると、いとしさが胸にあふれて、帝は頻繁にお越しになって、前よりもあきらかに愛情が増していらっしゃることを、権中納言がお聞きになり、あくまでも物事に角を立てがちな今風の性格なので、自分が他人に劣るはずはないと心に思って一生懸命になって、優れた絵描きを呼び寄せ、きびしく口止めをして、二つとないような絵を、すばらしい紙に描かせて、お集めになった。
帝と斎宮女御には、絵を描くという共通の趣味があったのです。しかも趣味の域を超えた、かなり本気モードの趣味。
これに危機感を抱いたのが、弘徽殿女御の父の権中納言です。お妃の父や親族にとって、一族のお妃が帝の皇子を生むかどうかは、次の政権で実権を握ることができるかどうかに直結する、大問題でした。帝のお心をつなぎ止めようとがんばります。
権中納言は、当代のすぐれた絵師たちに命じて、たくさんの絵を新しく描かせ、宮中に持ち込みました。帝が斎宮の女御と一緒にそれらの絵を見たいと思っても、弘徽殿から持ち出すのを邪魔するなど、大人げないふるまいをします。
それを知った源氏の君は、すぐれた絵師が描いた昔の絵画の中から、今見てもおもしろい絵を選んで、献上します。
藤壺の宮も絵がお好きなので、後宮はちょっとした絵画ブームになり、女房たちを左方右方に分け、それぞれの側が出してきた絵を相互に論評させて、優劣を競わせました。密かにおこなったのですが、それが評判になって、帝の御前で「絵合」が催されることになりました。
日取りを決めて、急な催しのようだが、風情があって格式ばらないように配慮して、左方、右方、それぞれにいくつかの絵を運び入れさせる。女房の控え所に帝のお席を用意して、北と南にそれぞれの方を分けて座らせる。殿上人は、後涼殿の簀子に、それぞれが応援する方に心を寄せて座る。
左方は紫檀の箱に蘇芳の華足、敷物には紫地の唐の錦、打敷は葡萄染めの唐の綺である。女童が六人、赤色に桜襲の汗衫、衵は紅に藤襲の織物である。姿や心配りなど並々ではないように思われる。右方は、沈の箱に浅香の下机、打敷きは青地の高麗の錦、あしゆひの組紐、華足の心配りなど現代風である。女童は、青色に柳の汗衫、山吹襲の衵を着て、みんなで御前に運んでくる。帝づきの女房は、前列後列で装束を分けて着ている。
お召しがあって、内大臣〈源氏の君〉、権中納言が参上する。その日、帥の宮も参上していた。この人は風流のたしなみが深く、なかでも絵を好んでいらっしゃるので、大臣〈源氏の君〉がひそかにお呼びになったのであろうか、仰々しいお召しではなくて、殿上にいらっしゃったところ、帝のお言葉があって、御前に参上し、このたびの判をおこなった。(中略)朝餉の間の障子を開けて、藤壺中宮もおでましになったので、絵について深い知識がおありだと思うと、大臣〈源氏の君〉もすばらしい催しだとお思いになって、ところどころ、判に迷うときなどに、時々発言なさるのもすばらしい。
『源氏物語』では、天徳四年内裏歌合に倣って、清涼殿の台盤所に西向きに帝のお席をこしらえ、殿上人たちは後涼殿の簀子にすわったとありますが、源氏物語絵色紙帖の絵では、藤壺中宮の前に、左方、右方の絵が運び込まれています。
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