紫式部に近づきたい~宮仕え(1)
初出仕は12月29日
「光る君へ」(第32回)で、まひろがいよいよ宮中へ。
『紫式部集』の和歌を読んで、初出仕前後の紫式部の本音を探ってみましょう。
*詞書と和歌を現代語に訳しました。和歌の現代語訳の上の▼は紫式部が詠んだ歌、▽は紫式部以外の人が詠んだ歌です。
(五四・五五)
ーーわが身をこんなはずではなかったと嘆くことが、だんだん普通になり、ひたすらそのことばかりを思った
数ならぬ心に身をばまかせねど 身にしたがふは心なりけり
▼取るに足りない私の心のままに〈人生〉をまかせることはないけれど、〈人生〉に従うのが心だったのだなあ。
心だにいかなる身にかかなふらむ 思ひ知れども思ひ知られず
▼でも、その心でさえ、どのような〈人生〉なら、うまくやっていけるのだろうか。どんな〈人生〉であっても違和感があると、分かっているようで、分からない。
身と心
紫式部集54、55番の歌は、出仕直前の心境。宮中でのお仕事に、やる気満々なのかと思いきや、不安でいっぱいのようです。
この「身」という言葉をどう訳せばよいのか、悩みました。
「人」と「身」が対で使われていれば、「他人」(自分以外の人。恋の歌では恋の相手)と「自分自身」ですが、ここでは「心」と「身」が対になっています。自分の中で心と身体が分離しているような感覚、女房として宮中に出仕することに、「心」がついていかないといったところでしょうか。つまり、不安でいっぱい。
〈境遇〉という訳も考えてみましたが、今のところ、いちばんしっくりきたのが〈人生〉という訳です。
さて、紫式部は、出仕しても気持ちが切り替えられなかったようです。
(五六)
ーー初めて宮中のあたりをみるにつけても、もの悲しい気持ちなので
身の憂さは心のうちにしたひきて いま九重ぞ思ひみだるる
▼〈人生〉のつらさは、心の中に離れずについてきて、今この宮中で、幾重にも思い乱れています。
中宮の女房たちの反発
物語作者として、鳴り物入りで出仕した紫式部に対する、仲間の女房たちの反発も大きかったようで、『紫式部日記』には、紫式部のことを〈最初はこんな風に思っていた〉と打ち明けた、ある人の言葉が書き留められています。
「このような方とは思わなかったわ。とても風流ぶっているので周りは気まずく、近寄りがたくて、よそよそしいそぶりで、物語を好み、趣があるような態度で、なにかにつけて歌を詠み、人を人とも思わず、くやしいことに私たちを見下しているのだわと、みんな思って、互いに言い合って憎んだのに、会ってみると、意外なほどおっとりしていて、別の人かと思ったわ」
仲間の女房たちの前で「おいらか」でいるというコツを会得するまでは、紫式部も大変だったようです。紫式部集によると、1月から、5月5日の端午の節句すぎまで、出仕せず家に引きこもっていました。
宮中でいったい何があったのでしょうね。
(五七・五八)
ーーまだ慣れていなくて、とても落ち着かない気持ちで、自分の家に帰ったあと、すこし言葉を交わした同僚の女房に
閉ぢたりし岩間の氷うちとけば をだえの水もかげみえじやは
▼凍りついていた岩と岩のすき間の氷がとけると、途絶えていた水が流れるように、うちとけられなかった私の心がほぐれたら、姿をみせようと思います。
ーー返事
深山べの花吹きまがふ谷風に むすびし水もとけざらめやは
▽山奥の花を散らせるように吹いて、雪と見まちがえさせる春の谷風によって、冬の間は凍っていた水も、きっととけることでしょう。閉ざしてしまった心も、いつかはほぐれると思いますよ。
(五九)
ーー1月10日ごろに、春の歌を献上せよとのことだったので、まだ出仕しないでいる隠れ家で
みよしのは春のけしきにかすめども むすぼほれたる雪のした草
▼吉野山は春の趣きで霞んでいるけれど、雪の下にある草はまだ凍っています。
ーーーーーー
「雪の下にある草」は、そのころの紫式部自身をたとえているようです。
(六〇・六一)
ーー三月ごろに、中宮女房の弁の内侍さんが、「いつ出仕なさるの」などと書いて
憂きことを思ひ乱れて青柳の いとひさしくもなりにけるかな
▽あのつらかったことを、風に吹き乱れる青柳の糸のように、あれこれと思い乱れて出仕しないまま、とても(=いと)長い時間がたってしましましたね。
ーー返事
つれづれとながめふる日は青柳の いとどうき世に乱れてぞふる
▼何をするというでもなく、春の長雨が降るのをぼんやりながめてすごす、今日のような日は、風に乱れる青柳の糸のように、ますます(=いとど)つらいこの世の中を思い、心乱れて過ごしております。
ーーーーー
和歌の修辞を説明すると、「糸」「乱れ」は「青柳」の縁語、さらに、60番の弁の内侍の歌は、「糸」と「いと」(=とても)の掛詞、61番の紫式部の歌は、「糸」と「いとど」(=ますます)、「長雨」と「眺め」、「降る」と「経る」の掛詞をつかっています。
(六二)
ーーこんなに思い悩んで心が折れそうな私を、「高貴なご身分にでもなったおつもりかしら」と言っている人がいると聞いて
わりなしや人こそ人といはざらめ みづから身をや思ひ捨つべき
▼わけがわからないわ。他人は私が一人前の女房とは言わないだろうけれど、自分から自分の〈人生〉を投げ出すわけにはいかないわ。
ーーーーー
62番の歌を詠んだあたりで、紫式部になにくそ精神が戻ってきたように思いませんか。
(六三・六四)
ーー薬玉をとどけてきて
しのびつるねぞあらはるるあやめ草 いはぬに朽ちてやみぬべければ
▽端午の節句の今日、地中に隠れていた、あやめ草の根が現れるように、私が隠していた本音もあらわしますね。言わないとあなたは、引かれなかったあやめ草が岩沼で朽ち果ててしまうように、家の中できっと朽ち果ててしまいますもの。
ーー返事
今日はかく引きけるものをあやめ草 わがみがくれに濡れわたりつる
▼今日はこのようにあやめ草の根を引いて、私も引き上げてくださったのですね。私は身を隠したまま、ずっと涙に濡れていました。
あやめ草
平安時代、宮中では5月5日の端午の節句に、薬玉を下賜し、肘にかけて長命のまじないにしました。また、薬玉を柱にかざる習慣もありました(参考:日本大百科全書ニッポニカ)。
紫式部の家にも、薬玉が届けられたようです。菖蒲はサトイモ科のショウブの古名、薬玉にはその菖蒲を飾るので、添えられた和歌にも「あやめ草」が詠み込まれています。
菖蒲は根が長いのも特徴で、引き抜いた根の長さを、左方、右方で競う「根合」もおこなわれました。それぞれの方から和歌も出すので、歌合の要素が強いようです。
紫式部は、そろそろ再出仕することになりそうです。63番の歌を送って、忠告してくれた女房は、だれなのでしょう。
彰子サロンの上臈女房たち
「光る君へ」ではこれまで、中宮彰子さまのそばでお仕えする女房は赤染衛門だけだったので、『紫式部日記』にでてくる女房たちはいつ登場するのかなぁと思っていました。
「光る君へ」の公式ホームページの系図には、6人の女房の名前と写真があがっています。
一般に、女房のなかで、もっとも上位なのは「宣旨」です。
彰子付きの女房(宮の女房)のなかでは「宮の宣旨」さん。「光る君へ」(第32回)で、先頭に座っていた方です。上の表で青色の四角で囲んだ「宰相の君」「大納言の君」「小少将の君」「馬中将の君」、つまり「○○の君」とよばれる人たちは、みんな上臈(=高貴な身分)の姫君です。
紫式部や赤染衛門、後から彰子にお仕えする和泉式部〈伊勢大輔は登場するのかな?〉は、中臈(=受領階級出身)の女房です。
「左衛門の内侍」は帝にお仕えする女房(上の女房)、紫式部に〈日本紀の局〉とあだ名をつけた人です。「光る君へ」ではその場面もやるのかな?
平安時代は、女房の装束にも細かいきまりがあります。『紫式部日記』のほかにも、『枕草子』『栄花物語』、そうそう『源氏物語』も、どんな色でどんな織りや柄を着ているのか、とても細かく描写されています。「光る君へ」でどう再現されるのか、これも楽しみです。
■これまでに紹介した歌
女ともだち(1) 紫式部集 1、2、6、7番
女ともだち(2) 紫式部集 8、9、10、11、12番
女ともだち(3) 紫式部集 15、16、17、18、19、39番
結婚(1) 紫式部集 28、29、30、31番
結婚(2) 紫式部集 32、33、34、35、36、37番
結婚(3) 紫式部集 4、5番
越前へ 紫式部集 20、21,22,23,24,25、26,27、80,81番
死別 紫式部集 40、41、42、43、48番
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