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紫式部に近づきたい 女ともだち(2)

紫式部悩みの相談室

紫式部に近づきたい 女ともだち(1)では紫式部集1、2、6、7番の歌を読みました。紫式部と友達の和歌の贈答をさらに読んでいきましょう。

*詞書と和歌を現代語に訳しました。和歌の現代語訳の上の▼は紫式部が詠んだ歌、▽は紫式部以外の人が詠んだ歌です。

(八・九・一〇番)

ーー都から遠く離れたところに、行こうか行くまいかと思い悩んでいる人が、山里から紅葉を折ってとどけてきた

露ふかく おく山里の もみぢ葉に かよへる袖の 色を見せばや
▽露がたっぷりと置いた奥山の里の紅葉の色に似ている、わたしの袖の色を見せたいわ。嘆き苦しんで血の涙を流しているのよ。

ーー返事

あらし吹く 遠山里とをやまざとの もみぢ葉は つゆもとまらん ことのかたさよ
▼嵐が吹く遠山里の紅葉が、ほんのわずかの間でも枝にとどまることが難しいように、あなたも強く誘われると、都にとどまることは難しいわね。

ーーまた、その人の

もみぢ葉を さそふあらしは はやけれどの下ならで ゆくこころかは
▽紅葉を誘う嵐は激しいけれど、この都ではないところに行く気にはなれません。
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任地に赴任することになった夫について行くべきかどうか、すごく悩んでいるという手紙が、紫式部のもとに届きました。

八番の「露ふかく」の歌、袖の色が紅葉の色に似ているとあるのは、「血の涙」という言葉をふまえています。出典は漢文で、泣いて泣いて涙が涸れたら、目から血が流れるという意味。ほんまかいなと思いますが、悲しんで激しく泣いていることを伝えたいときに、「血の涙」と表現します。

そのような歌が友達から送られてきたらどう返せばいいのかな。

紫式部は、九番の「あらし吹く」の歌で、わりと冷静に、夫に強く誘われたのなら、都にとどまるのは難しいわねと返事をしていますね。

友達のほうも一緒について行かざるをえないことは重々承知のうえで、行きたくないと本心を漏らしていて、紫式部はそれに「共感」しているのでは。

*コミュニケーションの用語では、「同情」(シンパシー)と「共感」(エンパシー)は区別されます。自分の感情をもとにして相手の感情を推しはかる「同情」ではなく、自分の感情は横において相手の気持ちを理解しようとする「共感」が大切だと考えられています。

「シンパシー( sympathy)は他人と感情を共有することをいい、エンパシー (empathy)は、他人と自分を同一視することなく、他人の心情をくむことをさす。」(デジタル大辞泉「エンパシー」の項)

ただ聞いてほしい

(一一・一二番)

ーー恋人との関係に思い悩んでいる人が、悩みを訴えてきた返事に、十一月ごろ

霜氷 とぢたるころの みづぐきは えもかきやらぬ ここちのみして
▼霜や氷が凍りついているような男女の仲に悩む人にあてた手紙は、その悩みを取り除くような言葉が書けなくて。

ーー返事

ゆかずとも なほかきつめよ 霜氷 みづのうへにて 思ひながさん
▽たとえ筆が進まなくても、やっぱり手紙を書いてちょうだい。霜や氷のような悩みはそれとして、あなたからの手紙を読んで心の憂さを忘れたいわ
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一一番の「霜氷」の歌で、紫式部は言葉が見つからないわと、素直に言っています。中途半端にわかったふりをしないというのが、よいのかも。話を聞いて理解してくれる人がいるだけで、心がなぐさめられるものですよね。

というわけで、紫式部は決して「コミュ障」ではない、逆に、現代に転生すれば、とても優秀なカウンセラーになれるのではないかしらと思います。

次は、紫式部が姉と慕う人との贈答歌を詠んでみましょうーつづく

2024年1月8日記

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