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猫長屋通信 改め のやまねこ通信  VOL.1 「クロちゃんの物語」

俺はこの辺りのパトロールを担当しているシングルファザーだ。娘がふたりいる。

パトロール先で顔をあわせるニンゲンたちは好き好きに名前を呼ぶが、よく呼ばれているのは「クロ」だから、とりあえず「クロ」と名乗ることにする。

娘たちの母親、つまり俺の連れ合いと離れることになったのはいつだったか。

もうずいぶんと昔のようにも感じる。夏が秋に変わる知らせの大きな台風が過ぎた日だった。

あいつは娘たちに授乳していたから常に自分は腹ペコの状態だった。

それでも、夫の欲目を抜きにしても美人で人懐っこい奴だったから、毎日立ち寄るニンゲン小屋でも人気者で、俺たち家族はどうにか日々の飯に困らずに暮らすことができていた。

でも、あいつは少しでも娘たちにたくさんお乳をあげたかったのか、人懐っこいが故にニンゲンを疑うことを忘れてしまったのか、台風が過ぎた翌朝にニンゲンが仕掛けた「トラバサミ」という猪用の罠にかかってしまった。

(作者註:現在トラバサミの使用は鳥獣保護管理法で規制されており違法です。違反した場合は罰金または懲役に課せられます)

「痛い!助けてーっ!助けてーっ!!」

あいつは右手を罠に捕らわれたまま必死で叫んだ。

俺はどうすることもできない。娘たちも不安そうに俺にしがみついて叫ぶ。

「おかーさーん!おかーさーんっ!!」

ニンゲンの中には俺たちがただこの世界に存在しているだけで気に食わない者がいることは十分に理解している。

だが、まさかこんなことまでする奴がいるとは。

やはり野良の俺たちが少しでもニンゲンに気を許したのが間違いだったのか?

それでも俺には罠を外してやることはできない。あいつを助けるためにはニンゲンの手が必要だ。

「いいか。無駄に動くんじゃないぞ。傷が深くなる。罠を外してくれる誰かが来るまで、あのニンゲン小屋の奴らに聞こえるように助けを呼ぼう」

あいつは半日以上罠の痛みにひたすら耐えた。俺たちは祈るように必死で鳴き続けた。

夕方になってニンゲン小屋の住人のひとりが帰ってきた。

異様な大声で鳴き続けている俺たちに気づいて罠にかかっているあいつの元へ近づいていく。

そいつは罠を仕掛けたニンゲンと話して、どうにか罠を外させることができたようだった。

あいつは手負いの状態でも必死にニンゲンから逃げようとしたが、傷の治療のために捕えられた。                  

「傷が治ったら絶対に戻るから待ってて!!」

そう叫びながらニンゲンに連れて行かれるあいつを見送りながら、俺たちは再び一緒に暮らせないかもしれないという予感がした。

それなら、せめて傷を治してからもニンゲンと安心して暮らして欲しい。

そう願いながら、俺はここで娘たちを育てることに決めた。

ここにいれば、また何かの形でひと目でも会うことができるし、心の声をかけ合うこともできるから。

ニンゲン小屋の優しい者たちのおかげで、どうにか俺たちは寒い冬を乗り越え、娘たちも大きくなった。

あいつを連れて行ったニンゲンは俺たちに会うとご飯をくれながら申し訳なさそうに話す。

「ごめんね。家族を引き離して。あの子は元気で頑張ってるよ。腕も無事で傷もふさがってる」

不幸中の幸いか罠は酷く錆びた年代物で、あいつは右腕に深い傷を負ったが切断は免れた。

傷が落ち着いてから、あいつは避妊手術というものを受けたらしい。

娘たちはあいつがこの世に送り出した最後の命だ。

俺は何としても娘たちを守り抜くと改めて誓った。

その後、俺と娘たちも捕獲されTNR(作者註:去勢・避妊手術をして元の場所に戻し地域猫としてお世話すること。手術済の印に耳先をV字にカットするので『さくらねこ』とも呼ばれます)を受けた。

とても恐ろしい思いをしたが、それがここで命を繋ぐための方法なら受け入れると覚悟したのは、お猫好しが過ぎる俺たちがお人好しが過ぎるニンゲンたちに賭けてみようと思ったからだ。

初めはバラバラだったニンゲンたちが俺たちをきっかけに繋がり、小さな出来事を話して分け合える日々はとても温かい。

ずっと放浪者だった俺に家族や仲間と呼べる奴らができて、いくつかの名前が付けられて雨風をしのぐ場所ができて「おかえり」という言葉をかけられる。

よく分からないが、ニンゲンが「幸せ」と呼んでいるものはこれなのかもしれないと思う。

だけど俺は知っている。この世界にニンゲンが「永遠」と呼ぶものはなく「今ここ」しかないということを。

罠を仕掛けたニンゲンは見る影もなくなったが、俺たちを疎ましく思い排除したがるニンゲンは次々に現れる。

彼らは家や車や土地が自分のものだと勘違いして、自然の存在を無理やりにコントロールしたり排除しようとしたりと必死だ。見ていて滑稽でならない。

全てはあるようにあり、なるようになるのだ。

俺たちを好きなニンゲンも嫌いなニンゲンも、どちらが正しいのでも悪いのでもなく、ただ違うだけなのだ。

大人になった娘たちは今しばらくここに留まり生き抜くことを選び、俺は今しばらくここを離れることを選んだ。

愚かで愛すべきニンゲンたちが無駄で滑稽な争いをやめて全てをあるがままにしておける日が来るまで。

もし、またひょっこり会えた時には、あの美味しい「ちゅーる」をたくさん用意してくれると嬉しい。俺もめいっぱいのスリスリでサービスするからな。

俺は、この世界の全てが大好きだ。みんな、ありがとうよ。じゃあ、またな。(Fin)              

作:志の

🐾この物語は事実を基にしたフィクションです。🐾

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