『責める責任』詩とエッセイ構成おまけで歌
必ず怒りは誰かに人がいなければ行政に必ず向けなればならないのか。
コロナで、離れ離れだった台湾人の奥さんが、やっと旦那様のとこ近所に引っ越しこられた。おかあさんから話しは聞いていた。
日本語練習でのLINEを転送していただいた。
「台湾政府と人民は団結してコロナに抵抗し収束させた」
と誇りを持ってた。
日本人の敵は、必ず政府だ。
紙ひこうきを飛ばすのは、責める事に使われる事が多い。
鳥さんも望んでいたのだろうか。
相手がいるようで見えていない。
空に放つ。
もし目の前の相手がいたら自分で折った紙ひこうきを目に向けてなげるのか。
目の前にいても投げたとしても何かしらの覚悟があり自身も感じているはずだ。
更に紙ひこうきを開いて読んでから折り直しもせず丸めて投げてやいないか?
それは、発信者と同じ行為と言わないだろう。
怒りをむける」
怒りをむける相手がいて
相手が行政だったり
どれだけの労力、お金、心労か、
覚悟の上で訴える。
訴える。
勝っても、『○○は戻ってきません』ともっと苦しむ。もちろん報道が、そのコメントしか切り取ってないかもしれませんが。虚し過ぎる。
裁判起こす相手がいていいじゃん。
怒りを向ける相手いていいじゃん。
そう思う。そう思う人がいると思う。
怒りとは消化、浄化、消化、昇華できるのか?
あ、私はそもそも怒りがいきなりわかない。
よーくよーく考えてうん年後、冷静に、論文を述べる感じ。
撃って。
いつものように、何故か私がnanaで歌った歌。
♪我慢♪東京事変
深夜枠というアルバム。タイトルの通り裏アルバムという風。で、娘が買った当時限定販売だったと思うのですが、今回ストリーミングもありました。
今回♪我慢♪を歌おうとnanaで伴奏出してる方が一人しかいませんでした。
打ち込み+エレキギター。
メロラップの関西弁でかわいいと思ってる。
が、内容が揶揄ってる。
nanaは、1分30秒しかできないので、切り抜き方で、聖飢魔IIばかりになってしまった。
中は、サンバのピアノと、サンバのメロラップの関西弁。楽しい。
歌詞の揶揄ってる。
その内容は、2012年から現在も全く変わってないという事ですね。
さすがにご本人のかわいいのを聞いていただきたいと思いましたが、YouTubeもありませんでした。
読んでいただきありがとうございました。