顔も知らない彼女を想うとき
喜怒哀楽の、はしっこ二つで構成したい。
普段の在りかたとしてもそう思っているし、
noteの記事を書くときにも、心がけていることだ。
ただ、
”一度は行きたいあの場所“
というお題を見たとき、どうしてもこれは書いておきたいと思ったことがある。もしかしたら今回の記事はあなたのことを悲しい気持ちや、辛い気持ちにさせてしまうかもしれない。
そんな時は途中でも無理せず、そっと閉じてほしい。
* * *
一度は行きたい場所が、私にはない。
正確に言うと、行ってみたい場所はたくさんある。
ただ「ここだけは何があっても絶対いく!」というようなオンリーワンには、出会えていないのだ。
だけど「ここにいったらこれをするんだ」と決めている場所なら、ある。
* * *
緑と白のラインをくぐるとグーッとブレーキがかかり、列車が減速をはじめる。
現在の私の勤務形態は少し変わっていて、月の4分の1はプチ単身赴任。
その際はいつも特急列車に乗って、大阪方面へ向かう。
宝塚をすぎてしばらくすると、頭上に名神高速道路が走る箇所を通過する。
そこをくぐると一気に速度が落ちるのが体で感じられ、今どこにいるか教えられなくてもわかるようになっている。
* * *
2005年4月25日、午前。
和歌山市の知人宅に泊まりで遊びに行っていた私は、当時住んでいた京都市に戻るためにJR西日本の紀州路快速に乗っていた。
イヤホンからは、流行っていたケツメイシの「さくら」。
”ヒュルリーラとかわたしが歌ったらアホみたいなのに、切なくするケツメイシはすごいなー“とか思いながら京橋駅で降りて、京阪電車に乗り換えようと歩く。
その途中で「号外です!」と、手渡される新聞。
「JR快速、脱線」
飛び込んでくる、大きな見出し。
人生初の号外新聞に、驚きながら目を通した。
自宅に戻り、TVをつける。
そこには想像を絶する光景が映しだされていた。
さっきまで自分が線違いのJRの快速列車に乗っていた分、怖さが増した。
“私が乗っている列車じゃなくてよかった”
自分のことしか考えられず、心からそう思ったのを覚えている。
ベランダから見る空が、ひたすら青い日だった。
「すごい事故だね」
翌日、大学でもその話で持ちきりだった。
その方面から通ってくる生徒はそこまで多くなくて、みんな完全に自分たちには無関係なことだと思っていた。
そんな中で掲示板に貼りだされた、一枚の紙。
それは、この事故で同学年の生徒が亡くなったという知らせだった。
* * *
彼女と私には、面識はない。
ただ、昨日まで同じように大学に通っていた同い年の子が突然命を失ったということに、ショックを受けた。
こんなに気持ちのよい春の日なのに。
夏に向かってめばえていく緑が綺麗で、死があまりにも似合わない。
A4用紙に印字されたお悔やみは、春のやわらかな日差しに馴染まず、白く浮かんでいた。
* * *
再び春がめぐってきて、迎えた卒業の日。
桜が咲くにはまだ早く、肌寒さはあったけど、晴れ間も見える日だった。
色とりどりの振袖や袴で、見える世界一面があざやかだったこと。
彼女の親御さんが卒業証書を受けとったこと。
気づいたらこんなに年月が経っていて、今覚えていることはわずかだ。
お父さまが卒業する私たちにむけてご挨拶をしてくださったのだが、泣いてしまってほとんどおぼえていない。
でも、忘れられない一言がある。
「あの子は特にエジプトの歴史が好きで、そこに行くのが夢でした。
あなたたちが将来エジプトへ行くことがあれば、
あの子の名前を呼んで ”来たよ“ と言ってあげてください」
* * *
あれから15年が経った。
緑と白のラインをくぐって、減速。
ゆっくりとカーブを通過するたびに、私は会ったこともない彼女を想う。
いつかもしエジプトへ行くことがあれば、必ず名前を呼ぶからね。と誓いながら。
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