熱帯雨林のピアノ
NHK FMの「古楽の楽しみ」が好きで
毎朝目覚まし代わりにラジオをつけている。
今日は休みなので、
ゆっくり起床して、配信を聴いた。
熱帯雨林で生きたシュヴァイツァーを
特集していた。
彼がバッハを愛して、
バッハを正しく演奏しようと
試みた様子が紹介されていた。
彼はたくさんの才能を持った
天才だったのだと思う。
その天賦の才を
誰かのため、そして芸術のために
捧げた、熱い人。
音楽家として成功しているのに
医療に従事するために
アマゾンに赴いた彼を嘆いて
人々がアマゾンにピアノを送った話が有名。
おそらく調律なんぞままならない環境。
そもそも、床とか、平らだったんだろうか。
窓とか、閉まったんだろうか。
破壊的な音を発したであろうピアノ。
それは古典調律にどこか似ていたかも。
古典調律で演奏されたチェンバロの曲に
恐ろしき響きを感じることがある。
純正律から大きく外れた音。
それは意図的になされている場合が
多いんだろうなと思う。
穏やかで美しいだけが芸術じゃなくて。
厳しさが芸術であることもある。
私にとって、
生きているってそういうことだ。
忘れもしない、
大切な人の死の知らせを聞いた時
私の心に大音響として響いたのは
巨大で不均等な、
破滅的な和音だった。
この番組では、
ロマン派の時代にバッハが再発見されたとき、
それを人々がどう解釈したかが
わかって面白かった。
シュヴァイツァーは、
和音の演奏に制約のある
ヴァイオリンの限界を超えるために
バッハボゥと言われる
湾曲した弓に緩く毛を張った
特殊な弓を使って
4つの重音を出せるような演奏を
提唱したんだそう。
実際にバッハボゥを使って
重音にした演奏が紹介されていたけど、
重音にすることで
曲の透徹した哲学的な厳しさ、
劇的な感じが
かえって薄らいでしまうと思った。
弓のテンションも低いだろうから
そのせいもあるかも。
メンデルスゾーンやシューマンは
ヴァイオリン独奏であるこの曲に
ピアノの伴奏をつけたそうで
その演奏も聴くことができた。
やはり何かが薄くなると私は思ったが
ロマン派の人たちの空気感、
価値観を感じることができて
面白かった。
私はヴァイオリンはうまく弾けないので
バッハのヴァイオリンソナタを
クラヴィコードで弾こうと計画している。
私には、チェンバロとか
電子オルガンとかピアノとかを
弾く環境もあって、
それぞれ試すとは思うけど、
真剣に取り組むとすれば
ここはクラヴィコード一択。
ヴァイオリンのあの表現力に
匹敵する鍵盤楽器と言ったら
クラヴィコードだと思っている。
鍵盤だから、
4つの重音を簡単に出せるけど
和音にするか、
ヴァイオリンのようにアルペジオにするか、
悩むことになると思う。
音楽的に楽しく悩むというレベルの話。
その一方では、
シュヴァイツァーの生き方を
感じながら弾くことになりそう。
私が人生に問われていることについて、
私が人生に差し出せるものは何か。
天才か凡人かは関係なくて。
凡人なりに差し出せるもの。
それを探す探究。