人間失格


太宰治の代表作。
ざっくり言うと、売れない絵描きが女を頼って酒や薬に溺れていく、救いようのない女たらしな男の話。


だが、この男の幼少期の描写が結構リアルで、いわゆる「良い子ちゃん」な子ども時代を過ごした人なら共感できる部分が多いのではと思う。



人(親)から好かれるために、勉強を頑張り、常に笑顔で(時に不自然なくらい)、人から求められていることに必死に応えてきた。なので、自分がない。自分というものがないから、精神が不安定になっていく。



一応フィクションとされているこの「人間失格」だが、間違いなく太宰治の経験談であるだろうし、太宰も人に好かれようと必死に自分を取り繕っていた幼少期があったのかな、と思ったり。



毒親まではいかないにしても、過度に子どもに期待してしまう親と、それに応えようと過度な努力をすることが当たり前になってしまう子どもという構図は、割と最近あると思う。



そしてそういった子どもが大人になった時、人から求められたものに応え過ぎてきたせいで、自分のやりたいこと、自分の感情、自分の意思が欠落した、不安定な人間になる。



それはもはや人間とは呼べない。
人間失格。



まぁ太宰治が言いたかった人間失格とはちょっと違うけれども。



要は、私は欠落人間なのだ。


いまからいろんなものを取り戻そうとしても、やっぱり幼少期の経験って簡単には塗り替えられない。


人の期待に応えないとという思考、人の評価を気にする思考、そういう思考回路を簡単には変えられなくて、苦労する。



必要以上に人と関わることで、自分が気を遣ったり考え過ぎたりして神経をすり減らしストレスを溜めてしまうことが分かってからは、親含め、必要最低限でしか人と関わらないようにしている。



特に親とほぼ絶縁(会わないし、たまにLINEが来るが無視)してからは、気分が楽だ。



私は親にさえ、自分というものにフィルターをつけて、「仕事ができる自分、仕事を楽しんでいる自分」を演じ、自分をしんどくさせていた。


さらに、精神科医に対しても、同じように「仕事が順調な自分、人生がうまくいっている自分」を演じ、薬がこれ以上増えないように仮面を被っていた。


つまり私は本当の意味での素の自分を見せられる人間がおらず、人と関わる時に変に疲れてしまう。


なので人間失格な私は人間と関わるのをやめて1人で生きていくことにした。



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