意識の違い
中学1年生当時、私は運動が嫌いだった。理由は単純。疲れるからだ。それに運動はやった方が良いというだけで義務ではない。別にやらなくても良いのなら、出来るだけそれに時間を割きたくなかった。
私が通っていた中学は部活強制参加で、生徒全員が何か部活動を行わなければならない。勿論、文化系の部活に入ろうとした。だが運動部を選択肢から除外した場合、残るのは吹奏楽部のみ。そして私は、それはもう壊滅的に楽器が下手であり。小学校から音楽の授業で習うリコーダーすらまともに吹けた試しが無い。なので仕方なく、運動部の中から選ぶ事にし、結局私は野球部に入った。
入部してからは大変だった。週5で部活がある為、もはや勉強ではなく部活の為に登校しているようなものだった。更には動く事を嫌っていた私に、まともな野球の経験などあるはずも無く。投げれば暴投、打てば空振り、走ったとしても大体アウト。上手くいくことなんてほとんど無い。その影響もあってか、部活へ向かう時の胸中は陰鬱で足取りは非常に重かった。正直言って、3年間続けられるとは思えない。
しかし予想とは裏腹に、2年生を終える頃になっても野球が嫌になる事は全く無かった。自分の事ながら、それを不思議に思った私は、どうしてだろう、と考えた。思い起こされるのは部活中の私の顔。くどいようだが運動を嫌っていた私だ。どれもこれも、疲れ果てたような顔ばかり思い出されると思っていたのだが・・・。
昨日、一昨日、その前日と。どれだけ記憶を遡ろうと、私の顔は笑っていた。つまり、
楽しんでいたのだ、野球を。
心底嫌っていたはずの、運動を。
思えば、最初からそうだったのだ。野球部を選んだ理由は、「体験してみて楽しかったから」。重かった足取りもいざ部活が始まれば、軽快とは行かないまでも、元気を取り戻していた。そこまで思い出して、やっと分かった事がもう一つ。
私は運動が「嫌い」なのではなく、ただ動くのが「面倒」なだけでそれ自体は好きだったのだ。
それに気付いてからというもの、部活が一日の楽しみになっていた。その日の授業がおわったら、走って部室へ行く程に。元から楽しんでいた野球も、これまで以上に楽しく感じられた。
意識の違いによるその後の変化。多分これはある程度の事において言えることで。私が今「嫌い」だと思っている勉強も、友達付き合いも、もしかすると本当はそれを好んでいて。自分の本意に気付いた時、楽しめる時が来るのかもしれない。