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小津 夜景 『いつかたこぶねになる日/漢詩の手帖』〜紙ヒコーキ・良寛

☆mediopos-2510  2021.9.30

紙ヒコーキと
死と詩と
良寛の話

著者の小津夜景は
北海道生まれの俳人でフランス暮らし
極上のエッセイを書く

サブタイトルに「漢詩の手帖」とあるように
エッセイの一回ごとに漢詩の引用があり
さらに「しなやかな和訳」がつけられている

このエッセイではじめて知ったが
芸術家で人類学者であり
アメリカの民俗音楽の復活にも関わった
ハリー・スミスは
紙ヒコーキのコレクターでもあった

そのコレクションを集めた写真集の冒頭には
人類学者であるのはただの娯楽で
「ほんとうの使命は死の準備」であるという
生前のインタビューが引用されているとのこと

ハリーのコレクションは
「ニューヨークのあちこちで拾った」
「うす汚れたごみとなった、ちっぽけな紙ヒコーキ」で
「死とたわむれた果てのいきものみたいな不気味さがある」という
「死の準備」として紙ヒコーキを集めていたというのだ…

冒頭の軽みのある紙ヒコーキの話から
「死の準備」としての紙ヒコーキの話へ

さらにそこから
「我々はどこから来たのか?
我々は何者か?
我々はどこへ行くのか?」をめぐって
「紙ヒコーキの香りのする詩」であるという
良寛の詩へと話は展開し
その詩が和訳とともに紹介されている

その詩と紙ヒコーキを重ね
「からっぽの空にふわりと身をゆだね、
風の吹くままに生きていれば、来るべきその日、
死者としてどうふるまうべきか、
そのエレガントな作法がおのずと身につくのだろうか」
と「死の準備」の話とも重ねられてゆく

絶妙なエッセイである

「うふふ」
「死の準備」

そして良寛の
僕の詩は詩でなない
という漢詩でエッセイは閉じられる

詩と死
そのあいだで戯れる
紙ヒコーキのような自由…

■小津 夜景
 『いつかたこぶねになる日/漢詩の手帖』
 (素粒社 2020/11)
■Paper Airplanes: The Collections of Harry Smith (Catalogue Raisonné)
 (J&L Books Inc 2015/10/27)

(「紙ヒコーキの乗り方」より)

「友人の伴侶が、紙ヒコーキにはまっている。
 空力的に最適なデザインを考えつつ、紙ヒコーキを手ずから折りあげ、屋外でとばす。ただそれだけのシンプルな遊ぶだ。
 で、ある日の週末、折りたての紙ヒコーキをたずさえて近所の河川敷に出かけ、友人夫妻がのんびりすごしていたら、
「おやおや。もっととぶようになりますよ」
とかなんとか言いつつ見知らぬ男性が近づいてきた。そして、
「わたしは、ほにゃらら、という紙ヒコーキの会を主宰している者です」
と自己紹介し、紙ヒコーキについていくばくかの講釈を垂れたあと、なんと友人夫婦を紙ヒコーキ愛好家たちの会合に招待してくれたのだそうだ。後日、友人夫妻が案内された室内には、いつまでも宙を旋回しつづけるミステリアスな紙ヒコーキがたしかに実在したとのことだった。
「すごかったよ。紙ヒコーキがずっと、ふわふわ浮いてるの」と友人。
「うそ。そんなことあるの」とわたし。
「なるほどねえ」
「うふふ」
「うふふ」
 そんなきつねにつつまれたような会話をしたのがつい先月のこと。さいきんふと思い出して紙ヒコーキのことを調べてみたら、発泡スチロールペーパーでつくった紙ヒコーキは、わずかな気流の室内でゆっくりふわふわとぶ、との記述を科学方面のサイトにいくつも発見した。」

「紙ヒコーキときいて思い出すのは、ビート・ジェネレーションの芸術家にして人類学者、さらにはアメリカの民俗音楽復活のきっかけとなった史学的コンピレーション・アルバム“Anthology of American Folk Music”の編纂も手がけているハリー・スミスのことだ。実はハリーは紙ヒコーキのコレクターでもあり、彼がニューヨークのあちこちで拾った紙ヒコーキの中から厳選された二五一機が『紙ヒコーキ/ハリー・スミスコレクション1』(原題:“Paper Airplanes: The Collections of Harry Smith:Catalogue Raisonné),VolumeⅠ)という写真集になっている。それぞれの機体にはいつどこで手に入れたのかが記され、頁をめくると、政党のビラだったり。マニラ封筒だったり、レストランのメニューだったりと、さまざまな素材で折られた紙ヒコーキが楽しめる。
 どうしてハリーが紙ヒコーキに夢中だったのか、はっきりとしたことはわかっていない。この写真集の冒頭には、わたしは自分の使命を人類学者であると考えてはいるものの、畢竟それはただの娯楽、ほんとうの使命は死の準備なのです、来るべきその日、わたしはベッドによこたわりながら、この人生が目のまえから去りゆくのを見届けることでしょう、などと語った生前のインタビューが引用されている。
思えばハリーの愛した紙ヒコーキは、どんなものでもよかったわけではない。それは空中から墜ち、うす汚れたごみとなった、ちっぽけな紙ヒコーキでなければならなかった。そうした遺物としての紙ヒコーキには、たしかに死とたわむれた果てのいきものみたいな不気味さがある。とすると、ハリーが拾い集めていたのは、やはり死の準備について考察するための資料だったのだろうか。

「我々はどこから来たのか? 我々は何者か? 我々はどこへ行くのか?----こういった問いは、いつでもどこでも人間音頭を去ることがないようで、漢詩にもまったく同じ主題の詩がある。

  (僕はどこから来たのか)   良寛

 僕はどこから来て
 どこへ去ってゆくのか
 ひとり草庵の窓辺にすわって
 じっと静かに思いめぐらしてみる
 思いめぐらすもはじまりはわからず
 ましてやおわりはもっとわからない
 いまここだってまたそうで
 移ろうすべてはからっぽなのだ
 からっぽの中につかのま僕はいて
 なおかつ存在によいもわるいもない
 ちっぽけな自分をからっぽにゆだね
 風の吹くままに生きてゆこう

 我生何処来
 去而何処之
 独坐蓬窓下
 兀兀静尋思
 尋思不知始
 焉能知其終
 現在亦復然
 展転総是空
 空中且有我
 況有是與非
 不如容些子
 随縁且従容
 
 なんて紙ヒコーキの香りのする詩なのだろう、こんなふうに、からっぽの空にふわりと身をゆだね、風の吹くままに生きていれば、来るべきその日、死者としてどうふるまうべきか、そのエレガントな作法がおのずと身につくのだろうか。それともその作法は、空をとべない人間にとって、とてもはかない夢なのだろうか。
 良寛は江戸時代の僧侶。彼の和歌や書はいまでもファンが多い。漢詩もたいへん個性的で、いろんなテーマについての思考や観察をシンプルにまとめたアフォリズムっぽいものをたくさん書いている。ちなみに良寛自身は「僕の詩は詩じゃないよ」とのたまうのだけれど、これは謙遜ではなく、漢詩の規則などくそくらえという型破りの宣言だろう。良寛は禅宗の坊主ゆえ、くそくらえの精神は本流の作法だ。
 
  (僕の詩を詩だというのは誰か)   良寛

 僕の詩を詩だというのは誰か
 僕の詩、それは詩でなないのだ
 僕の詩が詩ではないと分かる人こそが
 はじめて僕と詩を語ることができる

 孰謂我詩詩
 我詩是非詩
 知我詩非詩
 始可与言詩

 原詩のパンキッシュな字面がとてもいい。こんなことをわざわざ詩にしているというのもユーモラスだ。そして、どこからどうみても、この詩が一〇〇パーセント詩であるところもさすがである。」

◎ハリー・スミスについて

《Wikipediaより》
ハリー・スミス(Harry Everett Smith 1923年5月29日 - 1991年11月27日)は、アメリカ合衆国の芸術家、画家、音楽家、評論家、学者、奇術師、詩人である。
画家、詩人、音楽評論家、音楽プロデューサーとしてアメリカで活動した。その一方で多彩な趣味や才能を有しており、他にも人類学者、言語学者、音楽学者、オカルト系歴史家、哲学者として様々な分野で活躍している。
また、趣味でレコードや絵本、アルメニアのイースター・エッグの収集、さらには奇術といったものがあり、それら分野でも第一人者である。
1952年、アメリカフォーク音楽のコンピレーションである『Anthology of American Folk Music』を発表。後のフォークブームに大きな影響を与えたとされる。
1991年5月29日、チェルシー・ホテルの一室で死去。

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